「デイリー・メール」の版間の差分

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イギリスでは社会階層によって購読する新聞がはっきり分かれており、[[タイムズ]]や[[ガーディアン]]など富裕な上流層を対象とする[[リベラル]]寄りの[[高級紙]]に対し、デイリー・メールは中下流の読者層をターゲットとしている[[大衆紙]]である。編集傾向は現編集長ポール・デイカー([[:en:Paul Dacre|Paul Dacre]])の意向を反映し、右派寄りで、反リベラリズムの傾向が強い。ライバル紙の『[[デイリー・エクスプレス]]』(''Daily Express'')とは対象とする読者層や政治的観点が似ているが、発行部数では3倍以上の差を付けている。
 
『デイリー・メール』は、[[アルフレッド・ハームズワース (初代ノースクリフ子爵)|アルフレッド・ハームズワース]](のちに授爵されてノースクリフ子爵)と[[ハロルド・ハームズワース (初代ロザミア子爵)|ハロルド・ハームズワース]](同じくロザミア子爵)の兄弟によって、[[1896年]]5月4日に当時の一般紙とは一線を画す新聞として創刊された。内容を大衆向きなものとし、記事も短く分かりやすくした。また他の日刊紙が軒並み1[[ペニー]]だったなか、『デイリー・メール』は1/2ペニーとした。そのため同紙は創刊早々に大きな成功を収め、間もなく発行部数は50万部を突破した。
 
1906年、この新聞は世界初の[[ドーバー海峡#航空機による横断|英仏海峡横断飛行]]に対して1,000[[スターリング・ポンド|ポンド]]、[[ロンドン]]―[[マンチェスター]]間の飛行に対して10,000ポンドの賞金を出す。1910年にどちらの飛行も成功し、賞金が支払われた(ロンドン―マンチェスター間についての詳細は[[1910年のロンドン・マンチェスター間エアレース]]を参照)。
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1982年には姉妹紙 ''"The Mail on Sunday"'' が創刊された。
 
[[2016年]]、[[欧州連合からのイギリス脱退|イギリスのEU離脱]]に関し、同紙は反[[グローバリズム]]の立場で連日離脱支持の論陣を張った。業を煮やした[[デーヴィッド・キャメロン|キャメロン]]首相は、社主でハロルドが創始したロザミア子爵家4代目であり、代々社主をつとめてきた曾孫のジョナサン・ハームズワース([[:en:Jonathan Harmsworth, 4th Viscount Rothermere|Viscount Rothermere第4代ロザミア子爵]])を呼んでびつけ、ポール・デイカー編集長の解任を要求した。ジョナサンは「編集権の独立」を理由にキャメロンの要求をはねつけた。
 
[[2017年]][[2月8日]]、[[英語版ウィキペディア]]はデイリー・メールを信用できない情報源とし、原則として引用を禁止した<ref>{{cite news|title=ウィキペディア、英紙デーリー・メールの引用禁止「信用できない」|publisher= [[AFP通信]]|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3117335|accessdate=2017-7-8|date=2017-02-10}}</ref><ref>議論のアーカイブ: