「ホーネット (CV-12)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
104行目:
[[1958年]]1月6日から7月2日まで同様の巡航を行った後、ホーネットは[[対潜空母|対潜水艦作戦支援空母]](CVS-12)に艦種変更される。8月に転換改修のため再びピュージェット・サウンド海軍工廠に入った。[[1959年]]4月3日に[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]を出港、第七艦隊に合流し日本本土から沖縄、フィリピンにかけて対潜水艦戦戦術演習を行い、10月に本国に帰還、西海岸での演習を行う。
 
翌[[1960年]]からホーネットは第七艦隊に配属され、南ベトナム沖から日本本土、沖縄、フィリピンにかけて定期的な航海を行った。[[1966年]]8月25日にホーネットは[[アポロ計画]]の無人宇宙船回収作業を行う。宇宙船は93分間で地球の四分の三を飛行し、[[ウェーキ島]]付近に着水した。月への有人飛行を目指したアポロ宇宙カプセルは[[大気圏再突入]]時の熱で焦がされた状態でホーネットに回収された。ホーネットは9月8日にロングビーチに帰還するが、[[1967年]]3月27日に再び極東へ向けて出航する。約一ヶ月後に日本に到着。日本海における海上自衛隊との共同演習中の5月10日と11日にソ連海軍の駆逐艦に異常接近され駆逐艦ウォーカーが阻止しようとして衝突した<ref>{{cite web|url=http://www.hazegray.org/danfs/destroy/dd517txt.htm|accessdate=2019-1-12|title=DD-517}}</ref>。
5月19日に[[佐世保基地|佐世保]]に入港した。その後1967年の夏のほとんどをベトナム海域での作戦活動で過ごす。主に対潜哨戒と海上救難の後方支援に使用された。
 
[[1969年]]にホーネットは再びアポロ計画に参加し、7月には人類初の有人月面着陸を果たした[[アポロ11号]]の乗組員と司令船を、12月には[[アポロ12号|12号]]の乗組員と司令船を回収している。なお、アポロ11号の回収時には、ホーネットの格納庫甲板内において、当時の[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]大統領が、移動式の隔離室に収容された[[ニール・アームストロング|アームストロング]]船長以下計3名の乗組員と対面している。