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== 政治姿勢 ==
貴族院内においては、[[懇話会]]・[[月曜会 (貴族院)|月曜会]](陸軍の研究団体とは同名の別組織)に属しながらも、常に藩閥政府への対抗姿勢を貫いた。[[自由党 (日本 1890-1898)|自由党]]と[[立憲改進党]]を論敵と見なし、政府の西欧化政策、[[キリスト教]]への批判を展開した。また[[佐々木高行]]や[[元田永孚]]ら宮廷派、谷ら陸軍反主流派を合して'''保守党中正派'''を結成した。民権運動や議会主義を批判して藩閥政府に反対的な立場を取るなど、保守中正を唱えて機関誌『保守新論』を発行した<ref>{{Cite book|和書|author=鳥谷部春汀|year=1900|title=明治人物評論・続|publisher=博文館|pages=10p}}</ref>
 
小弥太の政治論は儒教に由来し、[[易姓革命]]を容認するがそれが日本の国体(天皇制)と矛盾することを見逃している。彼は法律家や理論家ではなく、個人の心術のみを重んじ意見の当否を問題にしない、と[[鳥谷部春汀]]は評している<ref>{{Cite book|和書|author=鳥谷部春汀|year=1900|title=明治人物評論・続|publisher=博文館|pages=24p}}</ref>
 
== エピソード ==