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== 各地の伝承 ==
[[佐賀県]][[武雄市]]では、[[嘉禎]]3年([[1237年]])に武将・[[橘公業]][[伊予国]](現・[[愛媛県]])からこの地に移り、潮見神社の背後の山頂に城を築いたが、その際に橘氏の眷属であった兵主部(ひょうすべ)も共に潮見川へ移住したといわれ、そのために現在でも潮見神社に祀られる祭神・渋谷氏の[[神使|眷属]]は兵主部とされている<ref name="zukan" />。また、かつて春日神社の建築時には、当時の内匠工が人形に秘法で命を与えて神社建築の労働力としたが、神社完成後に不要となった人形を川に捨てたところ、人形が河童に化けて人々に害をなし、工匠の奉行・[[兵部省|兵部大輔(ひょうぶたいふ)]]島田丸がそれを鎮めたので、それに由来して河童を兵主部(ひょうすべ)と呼ぶようになったともいう<ref name="zukan" />。
 
潮見神社の宮司・毛利家には、水難・河童除けのために「兵主部よ約束せしは忘るなよ川立つをのこ跡はすがわら」という言葉がある。九州の[[大宰府]]へ左遷させられた[[菅原道真]]が河童を助け、その礼に河童たちは道真の一族には害を与えない約束をかわしたという伝承に由来しており、「兵主部たちよ、約束を忘れてはいないな。水泳の上手な男は菅原道真公の子孫であるぞ」という意味の言葉なのだという<ref name="zukan" />。