削除された内容 追加された内容
TempuraDON (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
南北アメリカ:画像は石碑H。コパンの石碑(ホンジュラス)、画像:カラクムル遺跡。メキシコにある古典期マヤの遺跡で
1行目:
{{Otheruses|工作物としての石碑|1969年のテレビ番組およびその書籍化作品|いしぶみ}}
[[ファイル:U 240, Lingsberg.JPG|thumb|200px|[[ルーン石碑]]]]
 
'''石碑'''(せきひ、{{Lang-en|stele, stela}})とは、人類が何らかの目的をもって[[銘文]]([[碑文]]ともいう)を刻んで建立した石の総称。「'''碑'''(いしぶみ)」ともいう。[[墓石]]としてなど他の目的を持たず、銘文を刻むこと自体を目的とするものをいう(ただし、英語の stele の場合は、木製のものや墓碑も含む場合がある)。なお、何かの[[記念]]として建てられたものを'''記念碑'''(きねんひ)、[[和歌]]・[[短歌]]や歌の[[歌詞]]を刻んだものを'''歌碑'''(かひ)、[[俳句]]を刻んだものを'''句碑'''(くひ)、[[詩]]を刻んだものを'''詩碑'''(しひ)という。
 
22 ⟶ 23行目:
== インドネシア ==
[[インドネシア]]の古代王国では、'''プラサスティ'''(prasasti)と呼ばれる記念碑が建てられた。これは王の詔勅を石に刻む古代インドネシアの習慣によるもので、しばしば、東南アジア史の研究書では、「刻文」と訳されるものである。プラサスティには、多様な形態があり、西[[ジャワ]]の[[タルマヌガラ王国]]のように楕円形の自然石が用いられる場合もあれば、犠牲として捧げる動物を結びつける杭として使われた'''ユパ'''(yupa)と呼ばれるものもあった。ユパでは、5世紀に東[[カリマンタン島|カリマンタン]]で繁栄した[[クタイ王国]]の王、ムーラヴァルマンが犠牲として捧げる動物を結びつける杭として使われたものが有名である。
 
== 南北アメリカ ==
[[File:Copan St H.jpg|thumb|200px|画像は石碑H。[[コパン]]の石碑([[ホンジュラス]])]]
<gallery>
File:Stele51CalakmulMuseum.JPG|[[カラクムル]]遺跡。[[メキシコ]]にある古典期マヤの遺跡で、117基という最も多くの石碑(ステラ)が残ることで知られている。画像は石碑51で[[731年]]の記録がされているユクノーム・トーク・カウィール王のもの({{仮リンク|メキシコ国立人類学博物館|en|National Museum of Anthropology (Mexico)}}蔵)。]]
 
</gallery>
 
== 脚注 ==