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'''中原 めいこ'''(なかはら めいこ、[[1959年]][[5月8日]] - )は、[[千葉県]]千葉市出身の女性[[シンガーソングライター]]。本名は'''小原 明子'''(おばら めいこ)<ref name="cdjournal_profile">{{Cite web | url=httphttps://wwwartist.cdjournal.com/i/artista/nakahara-meiko/122066 | title=中原めいこ | work=CDJournal | publisher=音楽出版社 | accessdate=20152019-0601-0414}}</ref>。主に1980年代に活躍し、代表曲は「[[千葉県立四街道高等学校君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。]]卒業
 
== 来歴・人物 ==
実家は[[燃料]]店を経営。幼少時より歌手に憧れ<ref name="sponichi_2011-06-04" />、中学生の頃より作曲を始め<ref name="cdjournal_profile" />、15歳時にオーディション番組「[[君こそスターだ!]]」に出場したが惜しくも合格を逃した<ref name="sponichi_2011-06-04" />。その後、デビューするまで[[鈴木邦彦]]主催のポップススクールに入りみっちり音楽を学んだ<ref name="sponichi_2011-06-04" /><ref name="cdjournal_coconuts" />。17歳頃には[[郷ひろみ]]のコンサートでバックコーラスを務めたこともあるが、声がつぶれてハスキーになったためコーラスは断念した<ref name="sponichi_2011-06-04" />。[[千葉県立四街道高等学校]]を卒業した。
実家は[[燃料]]店を経営。1980年代を中心に活動。幼少より[[ピアノ]]を学び、夢は[[アイドル歌手]]になることだったが自分の華のなさに気付き挫折した経験を持つ。芸名の由来は本名の小原と女優の[[大原麗子]]の中間を取って中原にしたと[[ザ・ベストテン]]などで語っている。
デビュー前には[[鈴木邦彦]]主催のポップススクールに在籍していて<ref name="cdjournal_review">{{Cite web | url=http://www.cdjournal.com/i/artist/nakahara-meiko/122066/6 | title=中原めいこ -レビュー(試聴記)- | work=CDJournal | publisher=音楽出版社 | accessdate=2015-06-04}}</ref>、中原本人が大ファンでもあった[[郷ひろみ]]や他のアーティストのコンサートやライブに一時期コーラスで参加していたことがある。
 
22歳時、[[1982年]]に「今夜だけDANCE・DANCE・DANCE」でデビューした。[[東芝EMI]]が中原の才能を見込んでつけた「第二の[[松任谷由実|ユーミン]]」というキャッチフレーズについて、中原自身は「かなり抵抗があった。自分はじぶんでしかない音楽をやっていると思っている」と後に語っている<ref name="sponichi_2011-06-04" />。芸名の由来は本名の小原と女優の[[大原麗子]]の中間を取って中原にしたと[[ザ・ベストテン]]などで語っている。
[[1982年]]に『今夜だけDANCE・DANCE・DANCE』でデビューし、[[1984年]]には[[カネボウ化粧品]]夏のキャンペーンソング『[[君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。]]』が大ヒットした。
 
[[1984年]]には[[カネボウ化粧品|カネボウ]]の夏のキャンペーンソングとして制作した「[[君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。]]」が大ヒットし、彼女の代表曲となった。学園祭にも精力的に参加し、[[山下久美子]]と同じく「学園祭の女王」と呼ばれた<ref name="sponichi_2011-06-04" />。しかし多忙から心身を擦り減らし、[[1988年]]にニューヨークへ渡って一時活動を休止した<ref name="sponichi_2011-06-04">{{Cite web | date=2011-06-04 | url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/06/kiji/K20110604000942810.html | title=【1984年6月】君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。/中原めいこの本領発揮 | work=スポニチ Sponichi Annex 芸能 365日 あの頃ヒット曲ランキング | publisher=スポーツニッポン新聞社 | accessdate=2019-01-14}}</ref>。
 
[[1990年]]に[[ニューヨーク]]へ拠点を移し、[[1992年]]に[[日清パワーステーション]]でのライブを最後に歌手活動を休止する。以降、[[2000年代]]前半までは作詞家として活動していたものの、近年は活動の形跡がなく公の場所に一切登場していない。デビューから歌手活動休止時まで所属事務所は[[後藤由多加]]が社長を務めたユイ音楽工房に所属していた。
 
[[早見優]]らアイドル歌手に提供・プロデュースした曲も多く、[[NEOちゃっきり娘]]に『アニマルサマーの夏が来る!』、L@L([[五十嵐恵]]、[[田中里奈]])に『せつないハーモニー』を作曲提供している(共に[[チェキッ娘]]のベストアルバムに収録)。
 
[[坪倉唯子]]は中原のデビュー後から活動休止までの長年に渡りレコーディングやライブにコーラスで参加していた。
 
2012年11月、『COCONUTS HOUSE』から『CHAKI CHAKI CLUB』までの入手困難だったCDアルバム初期5作品が再発された。
 
== 音楽性 ==
『CDJournal』のレビューでは「いわゆる「[[ニュー・ミュージック|ニュー・ミュージック]]」色は希薄で、かなりプロっぽい手つきが魅力。[[筒美京平]]・経由の似非エスノ・ポップス、という感じ<ref name="cdjournal_cinderella" />」「ファンタジックな詞<ref name="cdjournal_coconuts" />」「妙にエッチだったりする歌い方<ref name="cdjournal_cinderella">{{Cite web | url=https://artist.cdjournal.com/d/-/1140004833 | title=中原めいこ / 2時までのシンデレラ-FRIDAY MAGIC- &#x5B;再発&#x5D;&#x5B;廃盤&#x5D; | work=CDJournal | publisher=音楽出版社 | accessdate=2019-01-14}}</ref>」「当時の流行に敏感な普通の女のコ、の気持を代弁している<ref name="cdjournal_coconuts">{{Cite web | url=https://artist.cdjournal.com/d/coconuts-house/1140004836 | title=中原めいこ / ココナッツ・ハウス &#x5B;再発&#x5D;&#x5B;廃盤&#x5D; | work=CDJournal | publisher=音楽出版社 | accessdate=2019-01-14}}</ref>」と評されている。
 
==ディスコグラフィ==
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[坪倉唯子]] - 中原のデビュー後から活動休止までの長年に渡りレコーディングやライブにコーラスで参加していた。
 
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