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== 背景 ==
長山ようすけが終わらせた
=== シュマルカルデン戦争とアウクスブルクの和議 ===
[[宗教改革]]が始まってからは[[プロテスタント]]とカトリックの対立が続き、教皇は改革に対抗して、[[イエズス会]]を設置し、16世紀末までにはバイエルン、オーストリア、フランス、ポーランド、チェコがカトリックの勢力圏に入った<ref name=GM4/>。
 
[[1546年]]には[[神聖ローマ皇帝]][[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]とルター派諸侯の[[シュマルカルデン同盟]]との間で[[シュマルカルデン戦争]]が勃発した<ref name=GM4/>。皇帝側が新教諸侯に勝利しカトリックに有利な[[アウクスブルク仮信条協定]]が定められたが、寝返った[[ザクセン]][[選帝侯]][[モーリッツ (ザクセン選帝侯)|モーリッツ]]との[[パッサウ条約]]を経て、[[1555年]]の[[アウクスブルクの和議|アウクスブルク宗教平和令]]が公布された。この令では、カトリックとルター派は信仰を理由とした暴力の禁止([[カルヴァン主義|カルヴァン派]]やツヴィングリ派は[[異端]]とされ除外)、諸侯の信仰は自由であり、自領の信仰(ルター派かカトリック教会)を選ぶことができ、そして領民にはその信仰に従わせるとされた(領邦教会)<ref name=GM4>[[#木村編 2001|木村編 2001]], pp.99-117.</ref><ref name=GGM465>[[#木村・成瀬・山田編 1997]],pp.465-466</ref>。アウクスブルクの和議は教皇はあまり関わらず皇帝と諸侯の間で交わされたもので、その後も新旧両派は自らの勢力拡大に努めた<ref name=GM4/>。
 
=== 周辺諸国の情勢 ===