「千日手」の版間の差分

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*かつて{{いつ|date=2013年11月}}、[[木村義雄]]は[[名人戦 (将棋)|名人戦]]で千日手を回避し、それが元で敗北してしまった。観戦記者の[[坂口安吾]]はこれを厳しく批判し、「千日手を回避すると負けてしまう状況なら、勝負を重んじて千日手にするべきだ」と論じている。
*第18期(1979年度)[[十段戦 (将棋)|十段戦]][[大山康晴]] 対 [[加藤一二三]]王将の一戦では、加藤の攻めを大山が受け、95手目に千日手模様となった。しかし加藤は打開しようとせず、金銀の打つ順番を変える、馬を入る、不成にするなどで同一手順を回避しながら長引かせた。これに大山は激怒し、時計を止めて[[丸田祐三]]に電話し裁定を依頼するも、「現行のルールでは裁定できないから、指し続けてください」とあしらわれてしまった。結果、この手順の繰り返しと電話の間に加藤は打開の手順を読み、179手で勝利している。この対局では76手千日手模様が続き、最多の同一局面は8回出現していた。この後、前述の米長邦雄対谷川浩司戦でも同様の事例が発生し、千日手のルールが改定されることになった。
*第40期(1982年度)名人戦[[中原誠]]名人対加藤一二三十段の七番勝負は、持将棋1局と千日手2局を含む「十番勝負」となり、4勝3敗で加藤が悲願の名人位を獲得した。持将棋も千日手も後日指し直しとしていたため、1982年4月13日に第1局1日目が開始の「十番勝負」が決着したのは、3ヶ月半後の7月31日であった。
*第44期(1994年度)[[王将戦]]七番勝負最終局では、谷川浩司王将が[[羽生善治]]竜王・名人(六冠)を千日手指し直しの末に破り、羽生の七冠制覇を阻止した。
*第15期(2002年度)[[竜王戦]](羽生善治竜王対[[阿部隆]]七段)では、第1局で千日手2回となり、第1局の指し直し局を第2局の日程にずれ込ませる異例の措置が取られた。