「シカゴ学派 (経済学)」の版間の差分

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フリードマンとハイエクについて出典
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{{シカゴ学派 (経済学)}}
'''シカゴ学派'''(シカゴがくは、{{lang-en-short|Chicago School of Economics}})とは、[[ミクロ経済学]]的な手法を[[市場経済]]に限定されない様々な社会現象の分析へ適用することを試みた[[経済学]]の学派である{{Refnest|group="注"|name=refnest1|[[依田高典]] ([[京都大学]]教授) は「何でもかんでも(ミクロ)経済学で説明しようという立場を『経済学帝国主義』と言うが、経済学帝国主義とシカゴ学派はかなりの程度に等値である。」 と説明している{{Sfn|依田|2013|p=81}}。また、[[トーマス・カリアー]] ([[バード・カレッジ]]研究員) はシカゴ学派について、「(経済学の)基本コンセプトを本来の市場とは無関係の問題に応用した人びと」、「ミクロ経済学の新たな分野への応用が評価された」、「ミクロの信奉者」と説明している{{Sfn|カリアー|2012a|pp=75-76}}。}}。[[1920年代]]に[[シカゴ大学]]経済学部を中心に形成され、[[1960年代]]前後からこの名で呼ばれるようになった<ref name="inoki2004a">{{Harvnb|猪木|2004|pp=271-273}}</ref><ref name="iwanami2004">{{Harvnb|伊東|2004|p=332}}</ref>。一言にシカゴ学派といっても決して一枚岩でなく、[[社会主義]]、[[リベラリズム]]、[[マネタリスト|マネタリズム]]、[[新自由主義]]、[[ルーカス批判|合理的期待形成学派]]、[[新制度派経済学|新制度派]]、[[数量経済史|新経済史学派]]、[[公共選択論|公共選択学派]]、社会主義など、過去に種多様なくの経済学理論を持つ経済学者を輩出した<ref name="inoki2004a" /><ref name="Fonseca&ussher">{{Harvnb|Fonseca,G}}</ref>。
 
== 歴史 ==
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[[1920年代]]半ば、シカゴ大学経済学部において[[フランク・ナイト]]と[[ジェイコブ・ヴァイナー]]が教授に就任した。彼らは[[アルフレッド・マーシャル]]らの[[ケンブリッジ学派]]の体系と[[道徳哲学]]を受け継ぎ、シカゴ学派の基礎を構築した<ref name="iwanami2004" />。特にヴァイナーは、マーシャルが提唱した企業の[[費用曲線]]を精密化し、新古典派経済学の[[ミクロ経済学]]の分析手法を確立した<ref name="iwanami2004" />。ナイトは、[[計画経済]]を批判する一方で競争経済の論理的基盤に対しても等しく批判的であったし、ヴァイナーは[[リベラリスト]]として知られ、極端な言辞・政策に強い反発を示していた<ref name="inoki2004a" />。<br />その他に、「[[市場社会主義]]」を初めて提唱したことで知られる[[社会主義者]]の[[オスカル・ランゲ]]、「コブ=ダグラス型生産関数」の実証研究で知られる[[ポール・ダグラス]]、[[計量経済学会]]の創始者である[[ヘンリー・シュルツ]]、電話・鉄道の国有化を提唱したことで知られる[[ヘンリー・サイモンズ]]らが第一世代のシカゴ学派に数えられる<ref name="inoki2004a" /><ref name="Fonseca&ussher" />。
=== 第二世代 ===
[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけては、ナイト教授の門下生であった[[ジョージ・スティグラー]]([[1982年]]ノーベル賞受賞)と[[ミルトン・フリードマン]]([[1976年]]ノーベル賞受賞)を中心に「第二世代のシカゴ学派」が形成された。第二世代の特徴は、自らの仮説を統計データを基に検証し、有意な政策的結論を得ようとするものであり、数理経済学的手法よりも実証経済学的手法を重視する傾向が強かった([[実証主義]])<ref name="egashira2015">{{Harvnb|江頭|2015|pp=151-152}}</ref>。こうした実証的手法によって、スティグラーの[[産業組織論]]やフリードマンの[[マネタリズム]]が発展した。<br />なお、先験的手法を重視したことで知られる[[フリードリッヒ・ハイエク]]([[1974年]]ノーベル賞受賞)は当時シカゴ大学に在籍していたもの、経済学部ではなく「社会思想委員会」の所属であり、シカゴ学派とは一定の距離を置いていた<ref>{{Harvnb|江頭|2012}}</ref><ref group="注">{{要出典範囲|ハイエクは[[経済計算論争]]において[[社会主義]]の不可能性を主張したが、その際の論敵であった社会主義者[[オスカル・ランゲ]]はシカゴ学派の陣営であった。|date=2016年4月}}</ref>。フリードマンは[[ケインズ経済学]]を実証主義の観点から高く評価していた一方。またマクロ理論、自由主義者ハイエクの経済理論検証不可能で考えが一致しない部分もったが、サッチャーや、チリのピノチェトを支持す点では一致て歯牙にもかけていなかっ<ref>http://cafehayek.com/.../f-a-hayek-vs-milton-friedman-on-ma...</ref><ref name="egashira2015" />。
 
==== マネタリズム ====