「司馬遼太郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
44行目:
[[1930年]]([[昭和]]5年)、大阪市難波塩草尋常小学校(現・[[大阪市立塩草立葉小学校]])に入学。性格は明るかったが、学校嫌いで、悪童でもあったようである。母の実家の周りには[[古墳]]が多く、[[土器]]のかけらや[[石鏃]]などを拾い集めていた。また、当時の少年たちには特別ではなかったのであるが、大陸の[[馬賊]]に憧れていた。後に戦車隊の小隊長となることでこの夢は結実した。
 
[[1936年]](昭和11年)、私立[[上宮高等学校|上宮中学校]]に進学。入学後の成績は300名中でビリに近く本人も驚いたらしいが、慌てて勉強をしたら二学期には上位20位に入ったという。[[井伏鱒二]]の『岩田君のクロ』に感銘を受ける<ref>生涯井伏作品を愛読している。『別冊[[アサヒグラフ]] 井伏鱒二の世界』([[朝日新聞]]社、1992年)にも井伏論を寄せている。</ref>。3年生から[[松坂屋]]の横の[[御蔵跡町]]の[[図書館]]に通うようになり、現在の[[大阪外国語]]卒業まで本を乱読するようになる。古今東西のあらゆる分野の書物を読破し、しまいには釣りや将棋などの本まで読んだという。阿倍野のデパートでは[[吉川英治]]の[[宮本武蔵]]全集を立ち読みで読破した。いつも立ち読みばかりするので頭にきた売り場の主任が「うちは図書館やあらへん!」と文句を言うと、「そのうちここらの本をぎょうさん買うたりますから…」と言ったそうである。また、半ば趣味として山登りを好み、大阪周辺の名山は大抵踏破している。高等学校への受験に際して、家計の都合で私立学校への進学は許されず、官立のみと父親から釘を刺されていた。
 
[[1939年]](昭和14年)、中学生だった司馬にも戦争が影を落としており、上宮中学の配属将校から[[学校教練]]を受けている。ある日の教練の、配属将校による当時の日本軍の主力小銃[[三八式歩兵銃]]の説明で、「よその国の小銃は機関銃のように連発式になっているが、日本軍の三八式歩兵銃は[[ボルトアクション]]式のライフルであり、一発ずつしか撃てない、しかし、よその国はバラバラと撃てるが、これでは心が入らない。わが国のほうが心に念じ、一発必中になって狙えるからいい」との説明があったと著作に記述し{{Sfn|司馬|1998|p=250}}、これが司馬少年の心に強く印象付けられたとされている。しかし、1939年に「機関銃のように連発式」の[[自動小銃]]が正式採用されていたのは[[アメリカ軍]]の[[M1ガーランド]]だけで、これも1939年の初めにはまだ7,715丁しか生産されておらず<ref>[http://www.fulton-armory.com/faqs/M1G-FAQs/tea/m1serial.htm M1 Garand Serial Numbers By Month and Year]</ref>、数の面では製造開始年は三八式歩兵銃と変わらないボルトアクションライフルの[[スプリングフィールドM1903小銃]]が主力小銃であり、[[真珠湾攻撃]]による日本との開戦時には、508,000丁(日産2,000丁)の大量発注も行われていた<ref>[https://www.americanrifleman.org/articles/2016/6/8/the-remington-m1903-rifles/ The Remington M1903 Rifles]</ref>。また、[[ドイツ国防軍]]の[[Kar98k]]<ref>[https://ww2db.com/weapon.php?q=3 Mauser Kar98k Rifle]</ref>、イギリス軍の[[リー・エンフィールド]]<ref>[https://warfarehistorynetwork.com/daily/wwii/the-lee-enfield-rifle-in-world-war-ii/ The Lee-Enfield Rifle in World War II]</ref>、[[赤軍|ソ連労農赤軍]]の[[モシン・ナガンM1891/30|モシン・ナガン M1891/30]]<ref>[https://web.archive.org/web/20100221210814/http://www.russian-mosin-nagant.com/russian3.html The Russian Mosin Nagant Page]</ref>など、当時の列強国の主力小銃は三八式歩兵銃と同じボルトアクションライフルで、これらの小銃は[[第二次世界大戦]]が終わるまで各国歩兵の主力装備として運用されており、日本軍の小銃だけが時代遅れのボルトアクションだったというのは事実誤認である。