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英語版en:Switchboard operator(00:17, 15 December 2018 UTC)の翻訳に基づく加筆修正。なお概要(Description)は翻訳後推敲して、年代順になるよう文章を入れ替えをした。
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[[File:Telephone operators, 1952.jpg|thumb|200px|[[構内交換機]]のオペレーター(1952年)]]
'''交換手'''(こうかんしゅ 英:Telephone operator)operatorまたはSwitchboard operator )とは、[[電話網#手動式]]通信の初期で[[パッチパネル|手動電話交換台]]においが使用されいた1960年代頃まで発呼者一組の[[フォーンプラグ|電話プラグ]]を適切な[[フォーンプラグ|ジャック]]声での要求に差し込むことにより[[電話]]回線着信先に接続する業務([[を行っていた人のこと。'''電話交換機|電話交換]])である手'''とも
<!--100番通話がこれの名残であることについては確証取れないので留保-->
 
== 概要 ==
[[File:Bureau téléphonique parisien vers 1900.jpg|thumb|200px|ブースに座る女性交換手達(1900年)]]
[[File:Telephone-operators-Japan-1902.jpg|thumb|200px|八重洲町電話交換局<br />(1902年頃)]]
[[File:Hiroshima Telephone Office 1955 -2.jpg|thumb|200px|広島電話局市外交換室<br />(1955年頃)]]
 
各組のプラグは、交換手が通話に参加できるようになるスイッチが付随した、コード回線([[ケーブル]])の一部となっている。各ジャックの上部には、電話の受話器を持ち上げた時に点灯するライトがあった(最初期のシステムでは、電話の発電機を手動で回す必要があった)。電話局からの線は通常、一番下の列に沿って配置されていた。
所定の手続きにより、[[パッチパネル|交換台]]の[[電話回線]]を[[フォーンプラグ|ジャック]](ひも回線)と呼ばれる[[ケーブル]]で接続する。現代でも6.3mm(1/4インチ)径のプラグ/ジャックが『フォーンプラグ/ジャック』と呼ばれるのはこれに由来する。<br />[[電話]]普及の初期には、発呼者の[[音]]声での要求に従って「交換台」の交換手が通話路・課金制御を行っていた。<br />[[市外通話]]は、申し込みから接続まで時間がかかる、待時通話であった。<br />当時は、[[タイピスト]]と並び、[[女性]]の職種とされたため交換手の大半は女性であり、オペレーターガールとも呼ばれた。<br />通話[[トラフィック]]の増大により[[都市|都市部]]の電話局で交換手の負担が過重となったことや、通話の秘密保持などの理由から、[[電話交換機|自動交換機]]の開発が進み、交換局での加入者の少ない地域も人員合理化により、[[郵便局]]内の手動交換機から無人の自動交換機への転換が進んだ。<br />その一方、大企業等の[[内線電話]]の交換手は、電話局で自動交換機の設置が完了した後も長く残存することになった。
 
[[電話交換機|自動交換機]]の登場以前は、[[共同電話|共同加入回線]]を介して電話をかける以外では交換手の補助が必要とされた。発呼者は電話呼び出しを全うするために、適切な回線にコードを接続してくれる電話局の交換手と話をした。発呼者はまず交換手に繋ぎたい相手先を[[音声]]で伝え、その要求に従って交換手が回線のプラグを着信先のジャックに接続していたのである。現代でも6.3mm(1/4インチ)径のプラグ/ジャックが『フォーンプラグ/ジャック』と呼ばれるのはこれに由来する。
 
電話交換手は一般的に、非常に強力なコミュニケーション能力が必要とされた<ref>Principles of Hotel Front Office Operations - Page 55, Sue Baker, Pam Bradley, Jeremy Huyton - 2001</ref><ref>Kaplan Civil Service Exams - Page xii, Kaplan - 2008</ref>。交換手の遠距離ダイヤル通話と顧客の長距離直接通話([[:en:Direct distance dialing|DDD]])回線が登場する前は、電話交換手が遠方の電話局にいる相手と協力して長距離電話(いわゆる[[市外通話]])を完了していた。通話は完全管理の状態で、交換手はプライベートな会話を聞くことができる立場だった。
 
回線使用量が増えるにつれ、人件費を削減するためそして顧客のプライバシーを確保するため、自動またはダイヤルシステムが1920年代に開発された。電話システムがより洗練されていくにつれ、呼び出しを完了するのに必要とされた電話交換手による直接介入も減っていった。 コンピュータ化された電話ダイヤルシステムの開発により、以前は交換手の人力を必要としていた多くの電話呼び出しが、余分な人間の介在なしに、発信者によって自動的に実施されるようになっている。
 
公衆回線で雇われた者達と同様に、交換手はかかってきた電話呼び出しに応答してそれらを正しい[[内線電話]]に接続することを[[構内交換機|内線交換機]](PBX)で要求された。今日、ほとんどの大規模組織には直通内線電話がある。小規模の職場では、発信者が着信側の内線番号を入力できる自動化システムがあるか、電話に出て交換手(オペレーター)業務を行う受付係 がいる。雇用規定によって内線オペレーターの役割および責任の度合いは大きく異なり、ホテルでの[[モーニングコール]]の実施から、緊急対応の調整、派遣、病院における優先呼び出しまで様々である。
<!-- 以下、英語版wikiでは医療現場の電話オペレーターに関する説明があるが、電話回線の交換手とはかけ離れてくるので略。-->
[[File:Bell telephone magazine (1922) (14776291573).jpg|thumb|1880年代ニューヨークの電話交換、男女どちらも交換手]]
[[File:Bureau téléphonique parisien vers 1900.jpg|thumb|200px|ブース1900年パリの電話局座るて、業務中の女性交換手達(1900年)]]
 
== 脚注歴史 ==
1878年1月、ボストン電話通信会社(Boston Telephone Dispatch company)で働き始めたジョージ・ウィラード・クロイが、世界最初の電話交換手となった<ref name="Google Books">{{cite web|url=https://books.google.co.uk/books?id=b2mMzS0hCkAC&pg=PA696&lpg=PA696&dq=%22emma+nutt%22+telephone+operator&source=bl&ots=kKYQAmoXhW&sig=GEOi4yd-4NQnw3T4cb2mtOkBNRY&hl=en&ei=3bKTSo_9DqOZjAf496HzDQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=9#v=onepage&q=%22emma%20nutt%22%20telephone%20operator&f=false|title=The Telecommunications Illustrated Dictionary, Second Edition|work=google.co.uk|accessdate=2019-01-22}}</ref>。
[[File:A Telephone Operator.png|thumb|right|アメリカ合衆国の電話交換手、1911年]]
 
1878年9月1日、ボストン電話通信会社で働き始めた{{仮リンク|エマ・ナット|en|Emma Nutt}}が女性初の電話交換手となった。女性が採用された理由は、これまで交換手として雇われていた10代少年たちの態度や行動が受け入れられなかったためである<ref name="ATT 1">{{cite web|url=http://www.att.com/gen/press-room?pid=4800&cdvn=news&newsarticleid=20902|title=AT&T Press Release Headlines & News from AT&T|work=att.com|accessdate=2019-01-22}}</ref>。エマは[[アレクサンダー・グラハム・ベル]]に雇われ<ref name="Google Books"/> 、{{仮リンク|ニューイングランド電話電信会社|en|New England Telephone and Telegraph Company}}の電話帳にある全ての番号を思い出すことができた、とも伝えられている<ref name="Google Books"/><ref name="ATT 1"/> 。幾つかの理由から、この分野の労働力としてより多くの女性が男性に取って代わるようになった。一般的に女性の応対は発信者に対してより丁寧であり、しかも女性の労働は男性に比べて安価であることに、会社側が気付いたのである。具体的には、男性の給与の4分の1から半分という額が女性への支払いであった<ref name="Rakow 207-225">{{cite journal|last=Rakow|first=Lana|title=Women and the Telephone: The Gendering of a Communications Technology|pages=207-225}}</ref>。
 
1898年、ハリオット・ダーリーが[[アメリカ合衆国議会議事堂]]で最初の電話交換手になった<ref name=":0">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2018/04/18/obituaries/overlooked-harriott-daley.html|title=Overlooked No More: Harriott Daley, the Capitol's First Telephone Operator|last=Jacobs|first=Andrea|date=19 April 2018|work=New York Times|access-date=2018-04-20|archive-url=|archive-date=|dead-url=|language=en}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.loc.gov/resource/hec.23122/ |title=First Capitol telephone operator still on job. Washington, D.C., July 30. When Miss Harriot Daley was appointed telephone operator at the United States Capitol in 1898 there were only 51 stations on the switchboard. Today Miss Daley is Chief Operator and supervises a staff of 37 operators as they answer calls from 1200 extensions. The picture above shows the present switchboard with Miss Daley still on the job, 7/30/37 &#124; Library of Congress |publisher=Loc.gov |date= |accessdate=2018-04-25}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.theatlantic.com/technology/archive/2012/04/the-upsides-to-working-without-internet-access-for-80-days/255606/ |title=The Upsides to Working Without Internet Access for 80 Days |publisher=The Atlantic |date=2012-04-09 |accessdate=2018-04-25}}</ref>。
 
通信隊女子電話交換手部隊(Signal Corps Female Telephone Operators Unit)に所属していた、[[第一次世界大戦]]時の二か国語を話す米国の女性電話交換手は[[ハロー・ガールズ]]との俗称で知られていた。ただし彼女たちは、1978年まで軍の部隊として正式に認められていなかった。
<!--このあと英語版wikiでは、米国での交換手ストライキの話があるが、日本のウィキには蛇足なので割愛。以下、訳文。
「元電話交換手のジュリア・オコナーは、より良い賃金と労働条件を求めてIBEW電話交換手部署を代表してニューイングランド電話会社(当時はVerizon New England)に対する1919年の電話交換手ストライキと1923年の電話交換手ストライキを指揮した。1919年のストライキでは、5日後に、郵政長官のバーレソンが組合と電話会社間の協定交渉に同意、結果として交換手への報酬増加および団体交渉権の承認が認められた。しかし、1923年のストライキはその目標を達成することなく1ヶ月経たないうちに中止された。
米国では、独立系の公衆電話会社(750回線未満)に雇われた電話交換手は、1963年の同一賃金法から除外された。」-->
 
1983年、[[メイン州]]{{仮リンク|ブライアント・ポンド|en|Bryant Pond, Maine}}で交換機が交換された際、スーザン・グラインズが手動クランク式電話の最後の電話交換手となった<ref>{{cite web|title=Goodbye, Central: Crank Phone Dies|url=https://www.nytimes.com/1983/10/12/us/goodbye-central-crank-phone-dies.html|work=New York Times|accessdate=23 May 2014}}</ref> 。1991年でも、[[カリフォルニア州]]カーマン<ref>{{cite web|url=http://articles.latimes.com/1991-04-08/news/mn-130_1_manual-switchboard|title=Pulling the Plug : Phone Company to Replace Last Manual Switchboard|work=latimes|accessdate=2019-01-22}}</ref> や[[ニューサウスウェールズ州]]ワーナリングのような農村部では手動の電話局交換機が稼働を続けていたが、それらは手動クランク式の[[マグネトー]]を備えていない集中バッテリーシステムだった。
 
== 交換台の種類 ==
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== 使用される電話機 ==
自動[[電話交換機]]に接続されていない場合、[[電話機]]としては、ダイヤルのない[[電話機#磁石式電話機|磁石式]]・[[電話機#共電式電話機|共電式]]が用いられていた。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
 
== 関連項目 ==
* [[パッチパネル]]
* [[交換機]]
* [[ハロー・ガールズ]] - [[アメリカ軍]]の電話交換手
* [[職業訓練指導員 (電話交換科)]]
* [[コールセンター]]
 
* [[働く女性]]
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
 
== 外部リンク ==
{{commons|Telephone operators}}
* [https://business.ntt-east.co.jp/content/nw_system/01.html 電話を手動でつなげていたのを知っていますか!? NTT東日本]
* [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087149 電話交換規則 : 附・電話交換加入者心得并ニ電話器使用心得 国立国会図書館 デジタルコレクション]
 
{{Tech-stub}}
{{DEFAULTSORT:こうかんしゆ}}
[[Category:サービス関連の職業]]