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→‎非常口・誘導標識の基準制定: en:Emergency exit(2018-11-29T08:53:21‎) History節の一部を取り入れ。日本での基準整備について加筆。
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=== 非常口・誘導標識の基準制定 ===
1883年、イギリス・[[サンダーランド (イングランド)|サンダーランド]]のビクトリアホールで180人以上の子供が死亡する[[群集事故|群衆事故]]が発生した。この事故では、ショーの終わりに演者が特別席の子供達にプレゼントを配り始め、観覧席にいた子供達(推定1100人)が下に降りようと階段に詰めかけた。しかし、階段の突き当たりに設置されていた扉は内開きで施錠されていたため、子供達は階段の底で滞留して後から来た子供達の下敷きになった<ref>{{Cite web|url=http://sunderland.yolasite.com/vichallstory.php|title=Victoria Hall Disaster 16th June 1883|accessdate=2019-01-25|publisher=}}</ref>。イギリス政府はこの事故を受け、非常口を外開きかつ内側から解錠できるようにするといった、建築安全の最低基準を強制する法的措置を執り始めた。しかし、この動きは世界的に広まることはなかった。
 
1911年にニューヨーク市で発生した[[トライアングル・シャツウェスト工場火災]]は、多くの労働者が建物を脱出できずに炎や煙の吸引、または転落、飛び降りにより死亡するという歴史的な火災事故となった。この工場には2つの非常口があったが、1つは労働者の無断休憩や材料の盗難を防ぐために施錠されていた。もう1つの非常口は炎の熱と避難する人々の重さに耐えきれず崩壊した<ref>{{Cite web|url=https://www.dol.gov/shirtwaist/about.htm|title=U.S. Department of Labor - The Triangle Shirtwaist Factory Fire of 1911|accessdate=2018-07-08|publisher=[[アメリカ合衆国労働省]]}}</ref>。また、これらの扉は内開きになっていた<ref name=":2" />。
[[ファイル:Old exit sign.jpg|サムネイル|アメリカ合衆国で伝統的な非常口誘導灯]]
この事故を受けてニューヨーク市は予防局を設立し、労働法や建築基準の立法・改正を行った。この中には[[スプリンクラー設備]]、非常口や避難通路の安全基準、光る誘導標識(誘導灯)の要件が盛り込まれた<ref name=":2">{{Cite web|url=http://www.duhaime.org/LawMuseum/LawArticle-1532/1911-The-Fire-That-Changed-The-Law.aspx|title=1911: The Fire That Changed The Law - Timetable of World Legal History|accessdate=2018-07-08|author=Lloyd Duhaime|date=2013-01-20|website=duhaime.org - Learn Law|publisher=}}</ref>。[[アメリカ合衆国]]の国家防火協会 (National Fire Protection Association; NFPA) は1913年から非常口や避難階段などの基準化について検討を始め、1921年に建築物非常口基準 (Buildings Exits Codes) を公表した<ref>{{Cite web|url=https://www.exitlightco.com/NFPA-101-Life-Safety-Code.html|title=The Exit Light Co.: NFPA 101, Life Safety Code|accessdate=2018-07-08|publisher=Exit Light Co.}}</ref>。
 
日本では1932年に発生した[[白木屋大火]]をきっかけに、内務省建築規則にNFPAの基準を参考にしたとみられる安全基準が盛り込まれた。1960年代の高度経済成長期には[[磐光ホテル火災]]など増築されたホテルや旅館で火災事故が頻発し、1970年までに消防法と建築基準法で安全基準に関わる法的整備が進められた<ref>{{Cite web|url=http://www.research.kobe-u.ac.jp/rcuss-usm/hokugo/kenchikukasai/kasairekishi-word.htm|title=火災調査の歴史 -建築物の避難安全計画に果たしてきた役割-|accessdate=2019-01-25|author=北後明彦|date=2002-09-20|publisher=[[神戸大学]]都市安全研究センター}}</ref>。
 
=== ピクトグラムの制定とISO標準化 ===