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* 1994年7月場所の番付で、前場所までの「審判委員」(1968年1月に「勝負検査役」より改称)が、[[1887年]](明治20年)1月場所の番付に初めて「勝負検査役」を記載以来番付から消え、1959年11月場所以来、「若者頭」「世話人」「呼出」が番付上に復活した。同時に、「委員」「年寄」は就任年月日順に番付に記載されるようになった。なお、「呼出」は立呼出・副立呼出・三役呼出・幕内呼出・十両呼出が記載されて幕下呼出以下は記載されない。
*1994年[[10月20日]]、2日前に停年退職した若者頭・伊勢錦の後任として同年9月場所、西幕下15枚目で1勝6敗に終わった[[花ノ国明宏|花ノ国]]が若者頭に就任する事が承認され同年11月場所は現役力士と若者頭の同一人物の番付面での重複を避けるため、幕下は東方が従来の60枚目まであったのに対し、西方は花ノ国の名が抜かれ1枚減らされ、59枚になっている。
* 2000年9月場所後、序二段力士[[飛天龍貴信|持丸]]は四股名を「挑持丸(ちょうじまる)」と改名する旨届け出たが、番付には「'''桃'''持丸」と誤記され(読みはちょうじまる)、それを正式名として一場所を勤めた。翌11月場所終了後に再び改名届けを出し[[2001年]]1月場所から改めて「挑持丸」となった。この一場所限りの改名は誤記によるものとはいえ正式に協会の記録として残っている<ref>[http://www.sumo.goo.neor.jp/ozumo_meikanResultRikishiData/rikishi_johoprofile/2244/rikishi_2244.html 飛天龍 貴信]日本相撲協会大相撲名鑑</ref>。
* 2008年9月場所の番付より前場所までの「呼出」の表記を、[[1950年代]]に記載された頃の「呼出し」と改めた。
* 2009年3月場所の番付より、三段目格行司を幕下格行司と同列にして文字の大きさも前場所より若干大きく書き、序二段格行司以下にスペースが広くなったため、同様に序二段、序ノ口格行司も前場所よりやや大きめに書かれるようになった。