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康熙帝は、即位後に起こった[[三藩の乱]]を鎮圧し、鄭氏の降伏を受け入れて[[台湾]]を併合し[[福建省]]に編入、清の中国支配を最終的に確立させた。対外的には[[ロシア]]と[[ネルチンスク条約]]を結んで東北部の国境を確定させ、[[外蒙古|北モンゴル]]を服属させ、[[チベット]]を保護下に入れた。
また、この頃[[
これによって[[黒竜江]]から[[新疆]]、チベットに及ぶ現代の中国の領土がほぼ確定した。
こうして、少数の満洲族が圧倒的に多い[[漢民族]]を始めとする多民族と広大な領土を支配することとなった清は、一人の君主が複数の政治的共同体を統治する[[同君連合]]となり、中華を支配した王朝の中でも特有の制度を築いた。省と呼ばれた旧明領は皇帝直轄領として明の制度が維持され、藩部と呼ばれた南北モンゴル・チベット・
清が繁栄を極めたこの時代には文化事業も盛んで、特に康熙帝の[[康熙字典]]、雍正帝の[[古今図書集成]]、乾隆帝の[[四庫全書]]の編纂は名高い。一方で満洲族の髪型である[[辮髪]]を漢民族にも強制し(ただしモンゴルは元々辮髪の風習を持ち、新疆では逆に禁止している)、[[文字の獄]]や禁書の制定を繰り返して異民族支配に反抗する人々を徹底的に弾圧する一方、[[科挙]]の存続等の様々な懐柔政策を行っている。
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