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校舎の面積は[[学校教育法]]第三条に基づき、文部科学省令によって下限が定められている。
 
[[明治元年]]([[1868年]])の学校建築開始当時から[[木構造 (建築)|木造建築]]の校舎(木造校舎)が大半を占め、煉瓦建築などがこれに次ぐ形で普及した。[[鉄筋コンクリート造]]の校舎は、[[1920年]]([[大正]]9年)、[[神戸市]]の須佐小学校校舎として日本で初めて登場している。さらには、[[関東大震災]]や[[室戸台風]]、[[空襲]]などの被害が、火災や地震に強い鉄筋コンクリート製校舎への建て替えるを強く促す結果となった。[[東京市]]では関東大震災で117校が焼失し、それら全校の新校舎は鉄筋コンクリート造で建て直された。これは「初期モダニズムの(世界的にも)画期的動向」であった。画一的ではなく設計者の個性が出ていた<ref>{{Cite book|和書 |editor=[[松葉一清]] |date=2011-10-27 |title=復興建築の東京地図 |series=別冊太陽 太陽の地図帖 |volume=10 |publisher=[[平凡社]] |isbn=4-5829-4538-4 ISBN 978-4-5829-4538-6}}</ref>。木造校舎も耐震化などの改良を続けつつ、[[1970年代]]まで新築され続けたが、その後は鉄筋コンクリート製校舎が大半を占める時代が到来した。しかし、鉄筋コンクリート製校舎の全盛時代にあって木造校舎の良さを再認識する運動も市民権を獲得しており、木造校舎がいくつか新築されてもいる<!--※本文中に1- 2例程度、注釈では補足として(少ないなら)全リストを挙げるのが記事として理想。-->。
 
老朽化や廃校などによって校舎の建て替えや取り壊しが検討されると、地域で校舎をめぐる様々な論議が起こることはしばしばである。例えば日本の公立小学校にあっては、地域住民の多くがその校舎で学んでいるため、校舎に対して特別な愛着が持たれている場合もある。また、古い校舎では当時の著名な建築家が関係していたり、著名人の随筆・自伝・伝記などに同施設に絡むエピソードが紹介されているなど、郷土史跡としての価値もあることから、部分的にでも保存しようとする動きも見られる。一例として、日本の[[広島県]][[広島市]]に所在する[[広島市立袋町小学校]]の校舎の場合、[[被爆建造物|被曝建造物]]として保護活動が行われていたが<ref>{{cite web |url=http://www.win-3.com/uranchan/ |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2005年8月25日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050829221358/http://www.win-3.com/uranchan/ |archivedate=2005年8月29日 |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>、老朽化を理由に[[2000年]]([[平成]]12年)<ref>作業着手は8月7日。</ref>に解体された。この際、黒板の下などから発見された、被爆(被曝)当時の避難者の消息を伝える落書き(被曝伝言)は、切り取られた壁面などの形で平和教育用史料として保存されている<ref>{{cite web |url=http://www.fukuromachi-e.edu.city.hiroshima.jp/siryoukan.htm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2007年4月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060622105110/http://www.fukuromachi-e.edu.city.hiroshima.jp/siryoukan.htm |archivedate=2006年6月22日 |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>。