「平尾昌晃」の版間の差分

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[[2006年]]、大晦日の『[[第57回NHK紅白歌合戦]]』では同年3月に逝去した[[宮川泰]]の後を受け「[[蛍の光]]」の指揮者に就任し、[[2016年]]の[[第67回NHK紅白歌合戦|第67回]]まで11年間務めた。ただし、宮川やその前任の[[藤山一郎]]、[[前田璣]]などと比較するべくもなく本格的に勉強した[[指揮法]]ではなく、いわば名誉職的な役割であることを本人も認めている。
 
[[2017年]]、平尾さんは2年前に肺がんを患って闘病。その後は入退院を繰り返し、今年5月にも「息苦しい」と訴えて約1か月にわたって入院していた。一時は回復したものの、7月13日に「蒸し暑く体調が悪い」と、病院で検査。
[[2017年]]、未明でリハビリ。
 
[[2017年]][[7月21日]]、[[肺炎]]のため東京都内の病院で亡くなった<ref name="asahi20170722" />。{{没年齢|1937|12|24|2017|7|21}}。訃報後の7月23日、[[2016年]]に再々婚していたことが明らかとなった<ref>{{Cite news|title=平尾昌晃さん昨年再々婚していた!仕事関係の50代女性、献身的に看病|newspaper=サンケイスポーツ|agency=産業経済新聞社|date=2017-7-24|url=http://www.sanspo.com/geino/news/20170724/mrg17072405050001-n1.html|accessdate=2017-9-7}}</ref>。平尾の葬儀は親族らによる密葬の形で7月30日に執り行われたため、10月30日に東京・[[青山葬儀所]]にて[[渡辺美佐 (芸能事務所社長)|渡邊美佐]]([[渡辺プロダクション|渡辺プロダクショングループ]]代表)を葬儀委員長とし、故人と縁のあった布施明、[[原辰徳]]、[[青木功]]らを発起人とし『故 平尾昌晃 葬儀・告別式』と題して公のお別れの会が行われ、原が弔辞を読み、布施と[[五木ひろし]]が「[[霧の摩周湖]]」と「[[よこはま・たそがれ]]」を霊前に捧げるべく熱唱し、葬儀に参列した歌手らにより[[小柳ルミ子]]の「[[瀬戸の花嫁]]」を合唱するなどして故人を偲んだ<ref>{{Cite news|title=平尾昌晃さんの葬儀・告別式は“歌唱葬”に 小柳ルミ子ら20人以上が合唱で別れ|newspaper=サンケイスポーツ|agency=産業経済新聞社|date=2017-10-30|url=http://www.sanspo.com/geino/news/20171030/geo17103014120024-n1.html|accessdate=2017-11-16}}</ref>。没後に[[第59回日本レコード大賞#特別功労賞|第59回日本レコード大賞特別功労賞]]が贈られた<ref>[http://www.tbs.co.jp/recordaward/index.html#nominate 第59回日本レコード大賞各賞発表] TBSテレビ「輝く日本レコード大賞」公式サイト</ref>。