「河田小龍」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
17行目:
明治12年([[1879年]])に隠居し家督を譲る。
 
明治22年([[1889年]])、[[京都府]]疏水事務所]]の庶務付属に採用され、[[琵琶湖疏水]]工事記録画の作成に当った。疏水の竣工した明治23年([[1890年]])4月から一年足らずに多くの絵図を残している。この『琵琶湖疏水図誌(上巻・工事着手前の略全図七葉と大津三保ヶ崎から藤尾村の竪坑までの26葉、中巻・第一トンネル西口から第三トンネル東口までの紙数35葉(内未成6葉)、下巻・第三トンネル西口から第六トンネル北口までと、6双屏風絵縮図2組の紙数48葉(内未成11枚))』は、現在では[[京都府立総合資料館]]に収蔵され、[[田村宗立]]による『琵琶湖疏水絵図』とともに、『琵琶湖疏水の100年』(叙述編・資料編・画集)のうちの「画集」に収められた。
 
明治27年([[1893年]])、京都居住の子・蘭太郎の元に移り、[[内国勤業博覧会]]外展覧会にて賞を受ける。
 
明治31年(1898年)12月19日没。享年75。
 
== 関連書籍 ==
* 漂巽紀略 付 研究河田小龍とその時代/川田維鶴撰、[[高知市民図書館]]、1986年発行
* 「漂巽紀畧 全現代語訳」、[[講談社学術文庫]]、谷村鯛夢訳・北代淳二監修、2018年
 
== 関連作品 ==