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Zechia (会話 | 投稿記録)
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日本語の表記は、'''イタリア共和国'''。通称は'''イタリア'''であるが、'''イタリヤ'''と表記されることもある。古くは'''イタリー'''とも表記された(発音は英語のItaly、フランス語のItalieに近い)。また、[[国名の漢字表記一覧|漢字による当て字]]で、伊太利亜、伊太利、以太利<ref>久米邦武 編『米欧回覧実記・4』田中 彰 校注、岩波書店(岩波文庫)1996年、252頁</ref>などと表記することもあり、伊と略されることもある。
 
国名の由来には定説はない。一般的な説として、紀元前六世紀ごろに南イタリアのカラブリア地方で子ウシ(ビタリ)をトーテム像として崇拝していた原住民に由来するといわれる。彼らはビタリ人と呼ばれていたが、その後ビタリがイタリアに変化し、その呼称がローマ人に受け継がれ、現在のイタリア半島に住む人々をさすようになった。中世に「イタリア伯爵領」「イタリア公爵領」とよばれるものが存在したが、それは統一的国家をなすものではなかった。政治的に統一された国家として最初にイタリアの名が使用されたのは、ナポレオン支配時代のイタリア共和国(1803)のことであり、これが改変されてイタリア共和国(1805~14)となった。1861年のサボイア家による統一によって、ほぼ現在の地理的範囲をもつイタリア国が成立した。<ref>{{Cite book|和書|author=|editor=相賀徹夫|title=日本大百科全書|date=|year=1985|accessdate=2019-1-30|publisher=小学館|page=355|volume=2|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>
由来についての有力な説は、[[古ラテン語]]の ''vitulus'' (ウィトゥルス、雄の子牛)から転じたという説である。また、[[古代ローマ]]の歴史家・[[ハリカルナッソスのディオニュシオス]]によれば、[[ギリシャ人]]が現在の[[カラブリア州|カラブリア]]に上陸した時、初めて接触した民族が{{仮リンク|イタロス人|en|Italus}}({{lang|grc|Ἰταλός}})だったため、その地域が「イタリア」と呼ばれるようになったという。この伝説については[[アリストテレス]]や[[トゥキディデス]]も言及している。
 
== 歴史 ==