「防共協定」の版間の差分

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不正確な編集を除去。 + 1939年08月23日締結の独ソ不可侵条約、1940年09月27日締結の日独伊三国同盟、1941年04月13日締結の日ソ中立条約  
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'''防共協定'''(ぼうきょうきょうてい、{{lang-de|Antikominternpakt}})は、[[1936年]]([[昭和]]11年)[[11月25日]]に[[日本]]と[[ドイツ国|ドイツ]]([[ナチス・ドイツ]])の間で調印された'''共産「インターナショナル」ニ対スル協定'''(きょうさん「インターナショナル」ニたいスルきょうてい)を指す。
 
締結当初は二国間協定である'''日独防共協定'''(にちどくぼうきょうきょうてい)と呼ばれ、国際共産主義運動を指導する[[コミンテルン]]に対抗する共同防衛をうたっている<ref>NHK取材班, p17</ref>。
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== 日独間の締結交渉 ==
[[File:OshimaHiroshi.jpg|126px220px|thumb|[[大島浩]]駐独武官]]
===第一次交渉===
リッベントロップは兵器ブローカー[[フリードリヒ・ハック]]を通じて日本との接触を図った。ハックは[[大日本帝国海軍|日本海軍]]と取引があり、1935年1月には英・[[ロンドン]]で[[山本五十六]]軍縮会議全権とリッベントロップの会談を実現させた。リッベントロップはヒトラーと山本の面会を求め、日独接近の交渉を行った。しかし海軍の独自の動きを警戒する[[松平恒雄]]駐英大使と、[[武者小路公共]]駐独大使によってこの動きは阻止された{{sfn|田嶋信雄|1987-03|pp=169}}。この動きは[[国防軍情報部]]長の[[ヴィルヘルム・カナリス]]中将に察知されたが、彼は対ソ同盟を主張しており、国防軍の大勢と異なり、リッベントロップらと協力する動きを開始した{{sfn|田嶋信雄|1987-03|pp=155}}。