「山岡鉄舟」の版間の差分

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泥舟 (会話 | 投稿記録)
泥舟 (会話 | 投稿記録)
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;剣
:自身の[[道場]]「春風館」<ref group="注釈">宮内省辞職後、鉄舟の住居(旧四谷区仲町三丁目三一番地、現在の新宿区若葉一丁目・学習院初等科付近)の裏手の道場に「春風館」と命名し開いた。</ref>や、宮内省の道場「[[済寧館]]」、[[剣槍柔術永続社]]で剣術を教えた。弟子に[[香川善治郎]]、[[柳多元治郎]]、[[小南易知]]、[[籠手田安定]]、[[北垣国道]]、[[高野佐三郎]]らがいる。[[松崎浪四郎]]も後に鉄舟門下に入っている。日本史上最後の仇討をした人物として知られる[[臼井六郎]]も目的を明かさずに門下で修業を積んでいる。精神修養を重んじる鉄舟の剣道観は[[剣道|近代剣道]]の理念に影響を与え、現在も鉄舟に私淑する剣道家は多い。平成15年(2003年)、鉄舟は[[全日本剣道連盟]]の[[剣道殿堂]]に顕彰された。
:門人を指導するのに「剣術の達人になるには、生の執着を断ち切る修練が何よりも肝要だとさとした。
;禅
:長徳寺願翁、竜沢寺星定、相国寺独園、天竜寺滴水、円覚寺洪川に参じ、後年は、滴水和尚から[[印可]]を与えられた。禅の弟子に[[三遊亭圓朝]]らがいる。また[[今北洪川]]、[[高橋泥舟]]らとともに、僧籍を持たぬ一般の人々の禅会として「両忘会」を創設した。両忘会はその後一時、活動停止状態となっていたが、[[釈宗演]]門下の釈宗活<ref group="注釈">釈宗活(しゃくそうかつ、1871 - 1954年)は臨済宗の僧侶。俗姓は入沢。別号に輟翁、両忘庵。</ref>の宗教両忘禅協会、釈宗活門下の立田英山<ref group="注釈">立田英山(たつたえいざん、1893 - 1979年)、耕雲庵を号す。1949年、宗教法人「両忘禅協会」を改組し宗教法人「人間禅教団」設立、初代総裁に就任。</ref>の[[人間禅|人間禅教団]]へと受け継がれた。