「野口健司」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
5行目:
文久3年([[1863年]])2月、[[浪士組]]に参加して上洛。江戸帰還に反対して[[京都]]に残留して、同年3月の[[壬生浪士組]]結成に参画する。水戸藩出身であったために[[芹沢鴨]]、[[新見錦]]、[[平間重助]]、[[平山五郎]]ら水戸派(芹沢派)の一人とされている。壬生浪士組では副長助勤となり、結成初期の幹部となった。野口は芹沢と行動を共にして、芹沢が引き起こした乱行である大坂力士の乱闘に関与したと見なされている。[[八月十八日の政変]]の際にも出動している。
同年9月、芹沢と平山は[[試衛館]]派([[近藤勇|近藤]]派)によって暗殺され、平間は逃亡した。暗殺事件の夜、野口は角屋に残って難を逃れている。これ以前に新見も[[切腹]]させられており、事実上水戸派は壊滅した。([[子母澤寛]]は、「鴨川物語」で、野口が芹沢暗殺
一説には、隊士を騙った水戸浪士の訴訟
== 関連項目 ==
|