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|title = {{native name|en|Republic of South Africa}}
| {{small|{{nobold|''その他、10の公用語による正式名称:''<ref>{{cite web |url=http://www.constitutionalcourt.org.za/site/theconstitution/thetext.htm |title=The Constitution |publisher=Constitutional Court of South Africa |accessdate=3 September 2009}}</ref>}}}}
| {{native name|af|{{small|Republiek van Suid-Afrika}}|fontsize=68%}}
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|ccTLD = [[.za]]
|国際電話番号 = 27
|注記 = <references group="注" />
}}
'''南アフリカ共和国'''(みなみアフリカきょうわこく)、通称'''南アフリカ'''は、[[アフリカ|アフリカ大陸]]最南端に位置する[[共和制]][[国家]]。[[イギリス連邦]]加盟国のひとつ。東に[[スワジランド|エスワティニ]](旧スワジランド)、[[モザンビーク]]、北に[[ジンバブエ]]、[[ボツワナ]]、西に[[ナミビア]]と国境を接し、[[レソト]]を四方から囲んでいる。南アフリカは[[首都]]機能を[[プレトリア]](行政府)、[[ケープタウン]](立法府)、[[ブルームフォンテーン]](司法府)に分散させているが、各国の大使館はプレトリアに置いていることから国を代表する首都はプレトリアと認知されている。
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[[1974年]]に[[ポルトガルの植民地戦争|植民地戦争]]によって疲弊したポルトガルで[[カーネーション革命]]が勃発し、[[エスタード・ノーヴォ]]体制が崩壊して左派政権が誕生して植民地の放棄を打ち出すと、近隣の旧ポルトガル植民地だった[[アンゴラ]]と[[モザンビーク]]は[[社会主義国]]として新たなスタートを切り、両国は南アフリカとローデシアの白人支配に対する[[ブラックアフリカ]]諸国の最前線([[フロントライン諸国]])となった。南アフリカとローデシアは、強行に国内を引き締める一方、両国に対して直接、間接の軍事介入を行い、両国を苦しめた。更に国内でも、1976年に[[ソウェト蜂起]]が勃発し、この黒人蜂起に対するフォルスター首相の対応は国際的な批判を浴びることになった。
 
[[1980年]]にローデシアは[[ローデシア紛争]]の末に白人政権が崩壊して新たに黒人国家[[ジンバブエ]]が成立し、反共のための戦いから脱落した。一方、南アフリカ防衛軍による直接介入が行われていたアンゴラでも、[[キューバ]]やブラックアフリカ諸国に支援された[[アンゴラ共和国軍|アンゴラ政府軍]]の抵抗が続き、戦争は泥沼の様相を呈していた。国内でも[[1980年]]には反体制運動が激しくなり、さらにそれまでの[[反共]]的姿勢から南アフリカを優遇していた[[西側諸国]]からも国際的に経済制裁を受け、南アフリカ内外で反アパルトヘイト運動が高まった。1988年には{{仮リンク|クイト・クアナヴァレの戦い|en|Battle of Cuito Cuanavale}}でアンゴラ=キューバ連合軍にアンゴラ領内への侵攻を阻止され、この戦いをきっかけに南アフリカは[[キューバ軍]]のアンゴラからの撤退と引き換えに占領していたナミビアの独立を認めた。軍事的敗北により、アパルトヘイト体制は風前の灯火となっていた。
 
このような情勢の悪化もあり、[[フレデリック・ウィレム・デクラーク|デ・クラーク]]大統領は冷戦の終結した[[1990年]]に入ると、アパルトヘイト関連法の廃止、人種主義法の全廃を決定するとの英断を下した。また、同時に1970年代から1980年代にかけて6発の[[核兵器]]を密かに製造・配備をしていたが、[[核拡散防止条約]]加盟前に全て破棄していたことを[[1993年]]に発表した。
 
[[1994年]][[4月]]に同国史上初の全人種参加の総[[選挙]]が実施され、[[アフリカ民族会議]] (ANC) が勝利し、[[ネルソン・マンデラ]]議長が[[大統領]]に就任した。副大統領にANCの[[ターボ・ムベキ]]と国民党党首の[[フレデリック・ウィレム・デクラーク|デ・クラーク]]元大統領が就任した。アパルトヘイト廃止に伴い[[イギリス連邦]]と国連に復帰し、[[アフリカ統一機構]](OAU)に加盟した。マンデラ政権成立後、新しい[[憲法]]を作るための制憲議会が始まり、[[1996年]]には新憲法が採択されたが国民党は政権から離脱した。
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{{Main|{{仮リンク|南アフリカ共和国の交通|en|Transport in South Africa}}}}
=== 道路 ===
{{節stubスタブ}}
 
=== 鉄道 ===
トランスネット(Transnet)・南アフリカ旅客鉄道公社
 
旅客輸送量(人㎏)=13kg)=13億7000万人kg
 
貨物輸送量(㏏)=1027億7700万㏏
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=== 海運 ===
{{節stubスタブ}}
 
=== 空運 ===
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{{legend|#7FE000|[[ズールー語]]}} <!--green-->
]]
[[ファイル:Stellenbosch Magistrate's Office (entrance).JPG|thumb|[[アフリカーンス語]]、[[英語]]、[[コサ語]]の3か国語による表記 ]]
[[公用語]]は[[英語]]、[[アフリカーンス語]]、[[バントゥー諸語]]([[ズールー語]]、[[コサ語]]、[[北ソト語]]、[[ソト語]]、[[スワジ語]]、[[南ンデベレ語]]、[[ツォンガ語]]、[[ツワナ語]]、[[ヴェンダ語]])の11言語。しかし、実質的には公用語として機能しているのは英語のみと言える。
 
1994年の現憲法制定以前はアフリカーンス語と英語が公用語であり両言語が政府、国会、経済、教育、標記、メディアにおいてもほぼ平等に使われていた。1994年の新憲法ではアフリカ諸語の保護育成のための[[多言語]]主義を掲げ、バントゥー諸語9言語が公用語に追加されたが、それまで共通語として機能していたアフリカーンス語を含め公用語の地位は形骸化している。エリート層主体で英語一本化の傾向が強まった結果、[[多言語]]主義の理念とはかけ離れつつあり<ref>[http://www.aa.tufs.ac.jp/documents/jrp/jrp157_03ja.pdf 「多言語状況の比較研究」(平成 20 年度第 3 回研究会)[[東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所]]]</ref>、多言語主義を推奨する機関である[[汎南アフリカ言語委員会]](PANSALB)もほとんど機能不全に陥っている。
 
==== 英語 ====
英語圏であるとされる南アフリカであるが、実際には[[英語]]は主に[[ヨハネスブルク]]や[[ケープタウン]]、[[ダーバン]]を代表とする大都市を中心に、イギリス系を中心とした白人やインド系など全人口の9.6%の人の[[第一言語]]に過ぎず、90%前後の大多数の国民にとっては教育で学ぶ言語である。しかし、[[イギリス]]の[[植民地]]時代に普及した英語が[[共通語]]的役割を果たし[[国会]]や政府の公式言語として全土で使用されているが、貧困層を中心に十分に理解できない層も多く、ある程度の英語を理解できる層は全人口の半数程度に過ぎない<ref>[http://www.kyoto-seika.ac.jp/event/kiyo/pdf-data/no23/kusunose.pdf 南アフリカの言語政策――マルチリンガリズムへの道 [[京都精華大学]] [[楠瀬佳子]]]</ref>。全人口に占める割合は2011年のセンサス統計では9.6%と2001年のセンサス統計の8.2%より大幅に増加しており、[[第一言語]]話者数は2001年の3,673,000人から2011年には4,892,623人まで増加した。主に黒人層の間で社会的価値の低いバントゥー諸語話者から社会的成功のために必須な英語話者へと変化していることが大きいとされる<ref>[http://www.dailymaverick.co.za/article/2013-04-24-sas-shifting-language-landscape/#.UedhDY30GSo SA's shifting language landscape “Afrikaans and English no longer ‘white languages’ Daily Maverick]</ref>。
 
人種別にみると、インド系の86.1%(1,094,317人)、白人の35.9%(1,603,575人)、カラードの20.8%(945,847)の母語となっており、黒人の母語話者(1,167,913人)は黒人人口の2.9%に過ぎないが、近年は急増傾向にある。
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==== 言語統計 ====
'''南アフリカで使用される言語 2011年統計'''<ref>[http://www.statssa.gov.za/Census2011/Products/Census_2011_Census_in_brief.pdf 南アフリカ共和国 センサス2011]</ref><ref>[http://www.southafrica.info/about/people/language.htm#.UedNBI30GSo 南アフリカの言語]</ref>
{| borderclass="1" cellpadding="2" cellspacing="0wikitable" style="margin: 1em 1em 1em 0; background: #f9f9f9; border: 1px #aaa solid; border-collapse: collapse; font-size: 95%; text-align: left"
!style="background-color:#E9E9E9"|言語
!style="background-color:#E9E9E9" align=right|話者人口
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|[[英語]]||align=right|4,892,623||align=right|9.6%||西ケープ州20.2%、ハウテン州13.3%、クワズール・ナタール州13.2%、東ケープ州5.6%
|-
|[[北ソト語]] ||align=right|4,618,576||align=right|9.1%||[[リンポポ州]]52.9%、ハウテン州10.6%、ムプマランガ州9.3%
|-
|[[ツワナ語]]||align=right|4,067,248||align=right|8.0%||北西州63.4%、北ケープ州33.1% 、ハウテン州9.1%、フリーステイト州5.2%
|-
|[[ソト語]]||align=right|3,849,563||align=right|7.6%||フリーステイト州64.2%、ハウテン州11.6%、北西州5.8%
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'''都市圏で使用される言語 2011年統計'''<ref>[http://census2011.adrianfrith.com/ 南アフリカ共和国 センサス2011]</ref>
{| borderclass="1" cellpadding="2" cellspacing="0wikitable" style="margin: 1em 1em 1em 0; background: #f9f9f9; border: 1px #aaa solid; border-collapse: collapse; font-size: 95%; text-align: left"
!style="background-color:#E9E9E9"|都市圏名
!style="background-color:#E9E9E9"|人口
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|-
|[[ケープタウン]]||align=right|3,740,026||align=left|[[アフリカーンス語]]35.7%、[[コサ語]]29.8%、[[英語]]28.4%
|- 
|[[エテクウィニ都市圏|エテクウィニ]]||align=right|3,442,361||align=left|[[ズールー語]]62.82%、[[英語]]26.77%、[[コサ語]]3.91%、[[アフリカーンス語]]1.72%
|-
|[[エクルレニ]]||align=right|3,178,470||align=left|[[ズールー語]]28.81、[[英語]]11.99%、[[アフリカーンス語]]11.92%、[[北ソト語]]11.40%、[[ソト語]]10.02%、[[コサ語]]8.02%、[[ツォンガ語]]6.63%、[[ツワナ語]]2.87%
|- 
|[[ツワネ]]||align=right|2,921,488||align=left|[[北ソト語]]19.91%、[[アフリカーンス語]]18.83%、[[ツワナ語]]15.05%、[[ツォンガ語]]8.64%、[[英語]]8.58%、[[ズールー語]]8.51%、[[南ンデベレ語]]5.74%、[[ソト語]]5.28%
|- 
|[[ネルソン・マンデラ・ベイ]]||align=right|1,152,115||align=left|[[コサ語]]53.92%、[[アフリカーンス語]]29.34%、[[英語]]13.46%
|- 
|[[バッファローシティー (南アフリカ)|バッファローシティー]]||align=right|755,200||align=left|[[コサ語]]78.83%、、[[英語]]11.00%、[[アフリカーンス語]]7.17%
|- 
|[[マンガウング]]||align=right|747,431||align=left|[[ソト語]]53.27%、[[アフリカーンス語]]16.23%、[[ツワナ語]]12.64%、[[コサ語]]9.91%、[[英語]]4.31%
|-
497行目:
 
'''主な地区・旧都市で使用される言語 2011年統計'''
{| borderclass="1" cellpadding="2" cellspacing="0wikitable" style="margin: 1em 1em 1em 0; background: #f9f9f9; border: 1px #aaa solid; border-collapse: collapse; font-size: 95%; text-align: left"
!style="background-color:#E9E9E9"|地域・都市名
!style="background-color:#E9E9E9"|人口
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|-
|[[ケープタウン]]||align=right|433,688||align=left|[[英語]]67.68%、[[アフリカーンス語]]22.53%
|- 
|[[サントン]]||align=right|222,415||align=left|[[英語]]63.91%、[[アフリカーンス語]]7.40%、[[ズールー語]]6.29%
|-  
|[[プレトリア]]||align=right|741,651||align=left|[[アフリカーンス語]]47.67%、[[英語]]16.38%、[[北ソト語]]8.02%、[[ツワナ語]]5.44%
|- 
|[[ポート・エリザベス]]||align=right|312,392||align=left|[[アフリカーンス語]]40.19%、[[英語]]33.25%、[[コサ語]]22.24%
|-
|[[ブルームフォンテーン]]||align=right|256,185||align=left|[[アフリカーンス語]]42.53%、[[ソト語]]33.36%、[[英語]]7.47%、[[コサ語]]7.10%、[[ツワナ語]]5.87%
|-  
|[[ステレンボッシュ]]||align=right|155,733||align=left|[[アフリカーンス語]]67.66%、[[コサ語]]20.78%、[[英語]]7.22%
|-  
|[[キンバリー]]||align=right|96,977||align=left|[[アフリカーンス語]]55.48%、[[ツワナ語]]18.74%、[[英語]]15.56%
|-
|[[ネルスプロイト]]||align=right|58,672||align=left|[[アフリカーンス語]]40.19%、[[英語]]33.25%、[[スワジ語]]20.2%
|-  
|[[ソウェト]]||align=right|1,271,628||align=left|[[ズールー語]]37.07%、[[ソト語]]15.53%、[[ツワナ語]]12.87%、、[[ツォンガ語]]8.86%、[[コサ語]]8.68%、[[南ンデベレ語]]4.95%、[[北ソト語]]5.14%、[[ヴェンダ語]]4.48%
|-
527行目:
|-
|[[ポロクワネ]]||align=right|628,999||align=left|[[北ソト語]]80.36%、[[アフリカーンス語]]5.45%
|-  
|[[ルステンブルク]]||align=right|549,575||align=left|[[ツワナ語]]53.93%、[[アフリカーンス語]]9.91%、[[コサ語]]9.60%、[[ツォンガ語]]5.60%、[[英語]]5.35%
|-
558行目:
== 治安及び保健 ==
=== 医療 ===
{{節stubスタブ}}
南アフリカ共和国は医学において、世界で初めて[[心臓移植]]を行った国でもある。[[1967年]]12月、黒人の女性ドナーより提供を受けて心臓病の白人の男性に移植を行った。背景には南アフリカに横たわる黒人と白人の差別があった<ref>[[吉村昭]]著『神々の沈黙―心臓移植を追って』(文春文庫)、『消えた鼓動―心臓移植を追って』(ちくま文庫)</ref>。
 
578行目:
2018年9月11日に公表された南アフリカ政府 公式統計によると、2017年4月から2018年3月までに殺害された人々の数は計2万336人で、2016年4月から2017年3月まで前回の統計における1万9016人から増加し、1日に57人殺害されている。犯罪発生率は前回の統計から6.9%増加し、アパルトヘイト廃止後の24年間で最悪となった。ベキ・ツェレ警察相は2018年9月に「南アフリカでは戦争も起きていないが、戦争に近い域にある」「毎日乗り物を乗っ取られたり、強盗に遭ったり、殺害される 」と平時にも関わらず戦争中レベルの治安であることが普通になっていることへの危機感を述べている<ref name=":0">{{Cite news|title=南アフリカ、殺人事件の死者は1日当たり57人「戦争に近い域」(AFP=時事) - Yahoo!ニュース|url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180911-00000040-jij_afp-int|accessdate=2018-09-11|language=ja-JP|work=Yahoo!ニュース}}</ref>。
 
=== 白人への攻撃激化 ===
2017年11月時点には72人の白人の農民が殺害されている。2011年から毎年増加し始めているこの問題への対策を求めて、南アフリカ政府に数百人がデモを行っている<ref>[http://www.afpbb.com/articles/-/3153041]南アで白人農民の殺害相次ぐ、今年に入って72人 抗議のデモ 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News</ref>。2017年12月には与党アフリカ民族会議(ANC)の新議長に就任したシリル・ラマポーザ副大統領が国民の8割を占める黒人のために、[[ベネズエラ]]で農地を荒廃させて経済も崩壊させた「白人の土地の取り上げ」をすることを表明した<ref>[https://www.jomo-news.co.jp/news/domestic/international/22915 南アフリカ、白人の土地収用へ 与党議長が表明、反発必至|国際|上毛新聞ニュース]</ref>。1998年から2016年末までに農家1187人、その家族490人、農場従業員147人、農場にいた24人、合計1848人が殺害されている。2010年に有名な経済的解放の闘士(EFF)のジュリアス・マレマ(Julius Malema)は、「一度革命的な歌だが、今は大量虐殺を宣告する」と、「農民を殺す」と謳っている。南アフリカが白人農家がすべて追い出されたもう一つのジンバブエになることが危惧されていている<ref>‘Bury them alive!’: White South Africans fear for their future as horrific farm attacks escalate [http://www.news.com.au/finance/economy/world-economy/bury-them-alive-white-south-africans-fear-for-their-future-as-horrific-farm-attacks-escalate/news-story/3a63389a1b0066b6b0b77522c06d6476]</ref>。
 
これを受け、スィドランダーズ(Suidlanders,「南の民」という意味)なる白人の互助団体がインターネット上で誕生したほか、白人がイスラエルの元軍人などから[[クラヴ・マガ]]や射撃といった護身術のトレーニングを受けるなど、政府に頼らず自衛を進めていく動きが出ている。
588行目:
=== 音楽 ===
{{Main|{{仮リンク|南アフリカ共和国の音楽|en|Music of South Africa}}}}
{{節stubスタブ}}
[[ポピュラー音楽]]においては、1930年代に[[アフリカ系アメリカ人]]の音楽の影響を受け、[[マロンボ]]と呼ばれるダンス音楽が成立した。
 
733行目:
{{Authority control}}
{{Coord|30|S|25|E|type:country_region:ZA|display=title}}
 
{{DEFAULTSORT:みなみあふりかきようわこく}}
[[Category:南アフリカ共和国|*]]