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'''村上 世彰'''(むらかみ よしあき、[[1959年]][[8月11日]] - )は、[[シンガポール]]在住の[[投資家]]。[[大阪府]][[大阪市]]出身。
== 人物 ==
[[M&Aコンサルティング]]を核とする[[村上ファンド]]を創設した人物。大学卒業後、[[通商産業省]](現[[経済産業省]])に入省し公務員として約16年勤務する中で、日本経済の永続的な成長のためには[[コーポレート・ガバナンス]]が大切であることを実感し、自らがプレーヤーとなって変えていこうと決意して40歳を目前にファンドを立ち上げる<ref name="shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。[[現金]]や遊休優良資産を抱えていながら有効活用していない上場[[会社]]の[[株式]]を取得し、日本の[[株主]]の多くが(もしくは一般化された日本人像として)
主義主張に「企業にとってのお金は人間の身体でいうなら血液、企業成長にはお金(血液)の流れが大切であり、流れが滞ると企業の健康に悪い影響が出る」というものがある<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。
村上ファンドと近い時期に、同じく積極的な経営手法で注目された元[[ライブドア]]社長[[堀江貴文]]と関連して語られることも多い。
[[ニックネーム]]は「せしょう」または「せいしょう」。世彰を本来の「よしあき」でなく、[[音読み]]させて「せしょう」と読む人が多いためだという(一種の[[有職読み]])。小学校・中学校時代は、
コーポレートガバナンス・コードや[[スチュワードシップ・コード]]、伊藤レポートといった[[上場企業]]や[[機関投資家]]に対する指針が国によって示された中、自身が持ち続けてきた上場企業のあるべき姿についての信念も単行本の形で世に出すことを決意し、2017年6月、自著『生涯投資家』(文藝春秋)を上梓。
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== 経歴 ==
=== M&Aコンサルティング設立前 ===
主に[[中華民国]](台湾)との[[貿易]]を営んでいた[[華僑]]貿易商である在日台湾人の村上勇の次男として[[大阪市|大阪]]・[[道頓堀]]界隈に生まれる
小学校時代はとても元気で活発な性格で、所謂ガリ勉タイプではなく、近所の友達ともよく遊んでいたという。学校では教師の間違いを指摘するなどしていた。
その後、[[灘中学校・高等学校]]に進学。高校時代は[[せんだみつお]]の弟子になることが夢であり、「せんだの人生には偽りがない」という文章を文集に残している。また、高校時代に
高校では220人中200番まで成績が下がったこともあった<ref name = "murakami">小山雄人「村上世彰の罪と罰 <span style="font-size:smaller;">モラルなき友との四半世紀</span> 」(『新潮45』2006年9月号)。</ref>。教科は理系科目が得意であったが、文系科目が苦手なために1年間の浪人生活を経験。1979年、[[東京大学]]文科1類(法学部進学課程)に進む。
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大学生活は、父の所有する[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[高輪]]の高級[[マンション]]から、[[ポルシェ]]に乗って通学するという豪華なものであった。[[1983年]]、[[東京大学]][[法学部]]を卒業。東大法学部同期の友人に[[参議院議員]][[林芳正]]、[[伊藤芳朗]][[弁護士]](伊藤は灘高の1年後輩)などがいる。同年、[[通商産業省]](現[[経済産業省]])に入省。通産省時代に近未来小説「滅びゆく日本」を執筆するも、上司が反対したため出版には至らなかった。
通産省時代は在[[南アフリカ]][[日本大使館]]一等書記官として[[アパルトヘイト]]時代の南アに赴任。口が災いして左遷された結果だったと伝えられている<ref name = "murakami">小山雄人「村上世彰の罪と罰 <span style="font-size:smaller;">モラルなき友との四半世紀</span> 」(『新潮45』2006年9月号)。</ref>。通産省時代から、多くの[[上場企業]]の役員に会い、面会の度に[[有価証券報告書]]を読み込み、その会社の経営状況をイメージした上で話をしていたという。しかしながら面談相手の[[上場企業]]の役員には自身の会社の財務状況をよく理解していない人物が多かったことに驚き、日本企業はこのままではグローバルな競争に負けてしまうのではないかと危機感を持つ。対して90年代のアメリカでは株主が経営者を監視する仕組みとして、[[コーポレート・ガバナンス]]という言葉が当たり前のように使われていたことから、日本でもコーポレート・ガバナンスの意識を高めることが日本経済全体の健全な発展のために必要だと強く信じ、今日に
=== M&Aコンサルティング設立後 ===
[[1999年]]、「[[コーポレート・ガバナンス]]のルールを作る立場からプレイヤーになりたい」と生活産業局サービス産業企画官を最後に通産省を退官し、当時アメリカで一躍脚光を浴びていた経営者に改革を迫るアクティビストファンドの先駆者であるロバート・モンクス氏の、企業のあるべき姿を追い求めた理念追及主義のLENSファンドをロールモデルとして<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>、M&Aコンサルティングを設立。[[ケイマン諸島]]籍の[[投資信託]]として「MACジャパン・アクティブ・シェアオーバー・ファンド」を設定し、傘下の[[特別目的会社]]や[[投資事業組合]]、MACアセットマネジメントなどの組織・企業を通じて日本企業への投資を開始する。代表的な案件としては、時価総額以上のネットキャッシュを保有するにもかかわらず、大きな経営改革を行わず放漫経営を続ける[[東京スタイル]]に配当・自己株式取得などを求めて[[プロキシーファイト]](議決権争奪戦)を行った事例がある。また、[[ニッポン放送]]の案件では、[[フジサンケイグループ]]において圧倒的な存在感を放つ[[フジテレビ]]がニッポン放送の子会社となっており、ニッポン放送がフジテレビ筆頭株主として3割を超える株式を所有していたことから、[[上場企業]]として
2006年3月から同年6月まで[[ソフトブレーン]]の[[社外取締役]]を務めた。
「[[村上ファンド]]が[[ライブドア]]から重要情報を得て[[ニッポン放送]]株を買っていた」という[[インサイダー取引]]の疑惑が[[マスメディア|マスコミ]]で騒がれ始め、[[特別捜査部#東京地方検察庁特別捜査部|東京地検特捜部]]の捜査の動きがマスコミに流れはじめるが、本人は疑惑を否定。2006年[[6月5日]]、11時に[[東京証券取引所]]で記者会見を行い、これまでの姿勢から一転ライブドアの当時の取締役などから重要な情報を「聞いちゃった」と告白した、東京地検特捜部の取調べに対する調書にサインをしたことを明らかにし、[[証券取引法]]違反(インサイダー取引)の容疑を全面的に認めたが、それは意図的なものではなく、あくまでも過失だったと主張した
=== 逮捕後 ===
その後
2006年[[6月26日]]に
2006年[[9月15日]]、[[東京地方検察庁|東京地検]]、東京地裁、村上の弁護人の
2006年[[11月30日]]に初[[公判]]。村上は起訴事実を否認、その後も一貫して無罪を主張し続けた。[[2007年]][[6月12日]]に結審し、村上は「反省すべき点は多かったが、意図的に法を犯すことはしていない」と改めて否認した。
東京地裁([[高麗邦彦]]裁判長)は同年[[7月19日]]、村上に対して、[[懲役]]2年、[[罰金]]300万円、[[追徴金]]11億4900万円(求刑:懲役3年、罰金300万円、追徴金11億4900万円)の[[実刑]]判決を言い渡した。インサイダー取引事件での実刑[[判決 (日本法)|判決]]は異例であり、また、追徴金の額も史上最高である。村上側はこの判決に対して即日[[控訴]]の手続きを
2007年[[12月26日]]、[[NPO]]に寄付する中間支援団体チャリティ・プラットフォーム(チャリ・プラ)の[[理事]]に就任<ref>週刊東洋経済2008年2月16日号</ref>。
一方では、[[2008年]]10月に村上ファンド関係者が入手した[[レノ]]の共同経営に参加<ref name="reno"></ref>。
[[2009年]][[2月3日]]、[[東京高等裁判所|東京高裁]]は、懲役2年・執行猶予3年を言い渡した。罰金300万円と追徴金約11億4900万円はそのままとした。
2010年、[[レノ]]は自社株買いにより村上との資本関係を解消した。法的整理を検討していた[[ゼクス (不動産会社)|ゼクス]]から、入居者救済と実父が入居していたこともあり、高級老人ホーム3箇所を約100億円で買収した<ref>[http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/2013110600007.html 老人ホームを営む「村上ファンド」]</ref>。
2011年6月7日、[[最高裁判所 (日本) |最高裁]]第1[[小法廷]]([[桜井龍子]]裁判長)は上告を棄却し、懲役2年・執行猶予3年、罰金300万円と追徴金約11億4900万円の[[有罪]]判決が確定した<ref>{{cite news|title=村上ファンド元代表の上告棄却|url=http://www.j-cast.com/2011/06/08097842.html|newspaper=J-CASTニュース|date=2011-06-08|accessdate=2012-05-15}}</ref>。一方、村上は同年5月、シンガポールに新会社「CARON」を設立、兄の世博(元三菱商事勤務)が永住権を取得して役員に就任した<ref name="reno"></ref>。
=== 表舞台への復帰 ===
2013年頃からは、ファンドマネージャーではなく、200億円とも目される個人資産をバックにした<ref>{{cite web|url=http://toyokeizai.net/articles/-/12787|title=新生・村上ファンド その野望と内情|publisher=[[東洋経済新報|東洋経済]]オンライン|date=2013-02-11|accessdate=2015-07-28}}</ref>投資家として、本人名義および[[C&I Holdings]]・南青山不動産といった投資会社名義で株式投資を再開
2015年6月には、C&I Holdingsが投資先の[[黒田電気]]に対して、自身を含む4名の社外取締役選任を求める臨時株主総会招集請求を行うなど<ref name="shikiho"/>、かつての「もの言う株主」のポジションを取り戻しつつある。
2016年8月、一般財団法人村上財団を設立、長女・[[村上絢]]が代表理事に就任した。チャリティ・プラットフォームの設立以降、様々な[[クラウドファンディング]]サイトが次々と立ち上がり、多くの人々が寄付に対して積極的に動くようになったことから、次に、自身が主体的な寄付者として日本の[[非営利団体]]の活動を応援すべく、ファミリー財団の設立に至った<ref>[https://www.buzzfeed.com/jp/daisukefuruta/murakami-life-story 日本を揺るがした投資家が寄付の世界へ] BuzzFeed NEWS 2017/09/24</ref>。寄付には、営利事業により得た収益から充てるとしている<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。
=== 強制調査 ===
2015年11月25日、証券取引等監視委員会により金融商品取引法違反(相場操縦)容疑で自宅や長女宅などが強制調査された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25HCJ_V21C15A1EA2000 村上元代表を強制調査 アパレル株の株価操作の疑い 証券監視委]</ref>。これに対して12月「相場操縦をする意図も理由もないこと」「借名口座は使っていないこと」「空売り自体が市場に誤解を与えるものではないこと」を挙げて疑惑に反論した<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/95336?page=2 村上ファンドは本当に「相場操縦」をしたのか ]</ref>。その後、2016年3月、村上側は「相場操縦罪は成立しない可能性が濃厚」との調査結果を監視委に提出した<ref>[http://jp.reuters.com/article/tsi-idJPKCN0WR0FP 村上ファンドのTSI株相場操縦罪、成立しない可能性濃厚=第三者委]</ref> 。この調査結果は、村上側の依頼により編成された第三者委員会(委員長=[[宗像紀夫]] ・弁護士)が問題の株取引を調査し、大学教授ら専門家に意見を聞き、過去の相場操縦事件と比較するなどして検証を進めたという<ref>「[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H8L_V20C16A3CR8000/ 村上氏株取引『相場操縦に当たらず』 第三者委が報告書]」(日本経済新聞 2016年3月25日)</ref>
また、強制調査を受けた長女・村上絢は当時妊娠7カ月で、産休中で業務から離れており、嫌疑対象の時期を含め売買判断に全く関与していなかったにもかかわらず、度重なる調査を受けたストレスから死産する<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。これを契機に自身が再び表に出て自分の理念や信念ときちんと伝えなければならないと思い、自身が持ち続けてきた[[上場企業]]のあるべき姿についての信念を単行本の形で世に出すことを決意し<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>、2017年6月、自著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』(文藝春秋)を上梓。▼
▲<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25HCJ_V21C15A1EA2000 村上元代表を強制調査 アパレル株の株価操作の疑い 証券監視委]</ref>。これに対して12月「相場操縦をする意図も理由もないこと」「借名口座は使っていないこと」「空売り自体が市場に誤解を与えるものではないこと」を挙げて疑惑に反論した<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/95336?page=2 村上ファンドは本当に「相場操縦」をしたのか ]</ref>。その後、2016年3月、村上側は「相場操縦罪は成立しない可能性が濃厚」との調査結果を監視委に提出した<ref>[http://jp.reuters.com/article/tsi-idJPKCN0WR0FP 村上ファンドのTSI株相場操縦罪、成立しない可能性濃厚=第三者委]</ref> 。この調査結果は、村上側の依頼により編成された第三者委員会(委員長=[[宗像紀夫]] ・弁護士)が問題の株取引を調査し、大学教授ら専門家に意見を聞き、過去の相場操縦事件と比較するなどして検証を進めたという<ref>「[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H8L_V20C16A3CR8000/ 村上氏株取引『相場操縦に当たらず』 第三者委が報告書]」(日本経済新聞 2016年3月25日)</ref> 。第三者委員会委員長の[[宗像紀夫]]は元東京地検特捜部長、[[内閣官房参与]]。
その後、証取委は、検察の起訴が見込めなかったため刑事告発を断念した<ref>[https://www.sankei.com/smp/affairs/news/180419/afr1804190033-s1.html 村上世彰氏らの刑事告発断念 相場操縦「起訴見込めず」 証券監視委]</ref>。▼
▲また、強制調査を受けた長女村上絢は当時妊娠7カ月で、産休中で業務から離れており、嫌疑対象の時期を含め売買判断に全く関与していなかったにもかかわらず度重なる調査を受けたストレスから死産する<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。これを契機に自身が再び表に出て自分の理念や信念ときちんと伝えなければならないと思い、自身が持ち続けてきた[[上場企業]]のあるべき姿についての信念を単行本の形で世に出すことを決意し<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>、2017年6月、自著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』(文藝春秋)を上梓。
▲その後証取委は、検察の起訴が見込めなかったため刑事告発を断念した<ref>[https://www.sankei.com/smp/affairs/news/180419/afr1804190033-s1.html 村上世彰氏らの刑事告発断念 相場操縦「起訴見込めず」 証券監視委]</ref>。
=== 出光・昭和シェル統合 ===
石油元売り大手の[[出光興産]]株式会社と[[昭和シェル石油]]株式会社は、2015年7月に両社の経営統合について協議を開始したが、出光の大株主である創業家が反対し、出光経営陣と創業家は一時没交渉となった。2017年秋、村上世彰は、創業家と親しい財界人から創業家への助言を依頼され、「部外者としてではなく株主目線で誠実に関わろう」と考え、2018年初めに出光株を1%弱取得。同年2月頃からは出光経営陣とも接触し、創業家と経営陣の橋渡し役を担った。その後、村上の橋渡しにより、2018年7月10日、出光興産と昭和シェル石油が統合合意を正式発表した。出光興産会長の[[月岡隆]]は記者会見で、「''著名な投資家である''村上世彰氏が、創業家の相談相手になり、公正な立場から、''創業家を含む全てのステークホルダーの共同利益の向上のために、''統合の必要性について助言したことが当社と創業家の関係改善につながったのは事実。村上氏が無私の立場から尽力したことに感謝している
== 著書 ==
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