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'''村上 世彰'''(むらかみ よしあき、[[1959年]][[8月11日]] - )は、[[シンガポール]]在住の[[投資家]]。[[大阪府]][[大阪市]]出身。
== 人物 ==
[[M&Aコンサルティング]]を核とする[[村上ファンド]]を創設した人物。大学卒業後、[[通商産業省]](現[[経済産業省]])に入省し公務員として約16年勤務する中で、日本経済の永続的な成長のためには[[コーポレート・ガバナンス]]が大切であることを実感し、自らがプレーヤーとなって変えていこうと決意して40歳を目前にファンドを立ち上げる<ref name="shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。[[現金]]や遊休優良資産を抱えていながら有効活用していない上場[[会社]]の[[株式]]を取得し、日本の[[株主]]の多くが(もしくは一般化された日本人像として)多くが経営関与には消極的な中で、積極的に株主提案を行い[[企業価値]]の向上を計り、株主を軽視する[[経営者]]に対しては[[株主総会]]などで経営陣を批判・叱咤することなどから、「'''もの言う株主'''」として注目を集めた。投資対象とした会社の株を購入した上で、利益の上がる事業に専念させて会社の株主価値向上を目指す投資手法を採った。代表的な案件に、[[東京スタイル]]、[[ニッポン放送]]、[[阪神電気鉄道]]などがある。投資規模が拡大の一途をたどる最中、ファンド設立から6年後、いまだ法的解釈は賛否両論あるものの、ニッポン放送株式の[[インサイダー取引]]の容疑で逮捕された。
主義主張に「企業にとってのお金は人間の身体でいうなら血液、企業成長にはお金(血液)の流れが大切であり、流れが滞ると企業の健康に悪い影響が出る」というものがある<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。
 
村上ファンドと近い時期に、同じく積極的な経営手法で注目された元[[ライブドア]]社長[[堀江貴文]]と関連して語られることも多い。
 
[[ニックネーム]]は「せしょう」または「せいしょう」。世彰を本来の「よしあき」でなく、[[音読み]]させて「せしょう」と読む人が多いためだという(一種の[[有職読み]])。小学校・中学校時代は、世彰「よしあき」ではなく「せいしょう」と呼ばれていたため、本名の呼び名を知らない人もいた。
 
コーポレートガバナンス・コードや[[スチュワードシップ・コード]]、伊藤レポートといった[[上場企業]]や[[機関投資家]]に対する指針が国によって示された中、自身が持ち続けてきた上場企業のあるべき姿についての信念も単行本の形で世に出すことを決意し、2017年6月、自著『生涯投資家』(文藝春秋)を上梓。
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== 経歴 ==
=== M&Aコンサルティング設立前 ===
主に[[中華民国]](台湾)との[[貿易]]を営んでいた[[華僑]]貿易商である在日台湾人の村上勇の次男として[[大阪市|大阪]]・[[道頓堀]]界隈に生まれる(台湾生まれの父は日本兵として徴兵され、復員船で帰還を果たした途端、日本国から日本の国籍を取り上げられて台湾に帰され、1950年代に日本へ戻り、日本国籍を取得した<ref>村上世彰著『生涯投資家』p.12 (文藝春秋社刊)</ref>[[大阪市立道仁小学校]]を卒業。なお、[[小学]]3年生頃には、すでに株取引のキャリアはスタートした。これは、父親が、月々の小遣いの支払いを廃止する代わりに、大学卒業までの小遣いとして100万円の現金を渡したことに端を発するもので、この資金を元手に、[[株式市場]]で小遣いを捻出していたとされる。大学卒業時には当初の100万円は1億円を超えたという。
小学校時代はとても元気で活発な性格で、所謂ガリ勉タイプではなく、近所の友達ともよく遊んでいたという。学校では教師の間違いを指摘するなどしていた。
 
その後、[[灘中学校・高等学校]]に進学。高校時代は[[せんだみつお]]の弟子になることが夢であり、「せんだの人生には偽りがない」という文章を文集に残している。また、高校時代にのちにパートナーとなる丸木強と出会っている。しかし学校に行っても学校行事には参加せず、校内の割り当て仕事(たとえば掃除当番)も「試験や受験が近づいたら、学校に行くよりも家で勉強するほうが効率がいい」「掃除なんかやっている暇があれば、自分だけ先に帰って勉強したい」との理由で不参加を通していた<ref name = "murakami">小山雄人「村上世彰の罪と罰 <span style="font-size:smaller;">モラルなき友との四半世紀</span> 」(『新潮45』2006年9月号)。</ref>。
 
高校では220人中200番まで成績が下がったこともあった<ref name = "murakami">小山雄人「村上世彰の罪と罰 <span style="font-size:smaller;">モラルなき友との四半世紀</span> 」(『新潮45』2006年9月号)。</ref>。教科は理系科目が得意であったが、文系科目が苦手なために1年間の浪人生活を経験。1979年、[[東京大学]]文科1類(法学部進学課程)に進む。
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大学生活は、父の所有する[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[高輪]]の高級[[マンション]]から、[[ポルシェ]]に乗って通学するという豪華なものであった。[[1983年]]、[[東京大学]][[法学部]]を卒業。東大法学部同期の友人に[[参議院議員]][[林芳正]]、[[伊藤芳朗]][[弁護士]](伊藤は灘高の1年後輩)などがいる。同年、[[通商産業省]](現[[経済産業省]])に入省。通産省時代に近未来小説「滅びゆく日本」を執筆するも、上司が反対したため出版には至らなかった。
 
通産省時代は在[[南アフリカ]][[日本大使館]]一等書記官として[[アパルトヘイト]]時代の南アに赴任。口が災いして左遷された結果だったと伝えられている<ref name = "murakami">小山雄人「村上世彰の罪と罰 <span style="font-size:smaller;">モラルなき友との四半世紀</span> 」(『新潮45』2006年9月号)。</ref>。通産省時代から、多くの[[上場企業]]の役員に会い、面会の度に[[有価証券報告書]]を読み込み、その会社の経営状況をイメージした上で話をしていたという。しかしながら面談相手の[[上場企業]]の役員には自身の会社の財務状況をよく理解していない人物が多かったことに驚き、日本企業はこのままではグローバルな競争に負けてしまうのではないかと危機感を持つ。対して90年代のアメリカでは株主が経営者を監視する仕組みとして、[[コーポレート・ガバナンス]]という言葉が当たり前のように使われていたことから日本でもコーポレート・ガバナンスの意識を高めることが日本経済全体の健全な発展のために必要だと強く信じ、今日にいたる<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。
 
=== M&Aコンサルティング設立後 ===
[[1999年]]、「[[コーポレート・ガバナンス]]のルールを作る立場からプレイヤーになりたい」と生活産業局サービス産業企画官を最後に通産省を退官し、当時アメリカで一躍脚光を浴びていた経営者に改革を迫るアクティビストファンドの先駆者であるロバート・モンクス氏の、企業のあるべき姿を追い求めた理念追及主義のLENSファンドをロールモデルとして<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>、M&Aコンサルティングを設立。[[ケイマン諸島]]籍の[[投資信託]]として「MACジャパン・アクティブ・シェアオーバー・ファンド」を設定し、傘下の[[特別目的会社]]や[[投資事業組合]]、MACアセットマネジメントなどの組織・企業を通じて日本企業への投資を開始する。代表的な案件としては、時価総額以上のネットキャッシュを保有するにもかかわらず、大きな経営改革を行わず放漫経営を続ける[[東京スタイル]]に配当・自己株式取得などを求めて[[プロキシーファイト]](議決権争奪戦)を行った事例がある。また[[ニッポン放送]]の案件では、[[フジサンケイグループ]]において圧倒的な存在感を放つ[[フジテレビ]]がニッポン放送の子会社となっており、ニッポン放送がフジテレビ筆頭株主として3割を超える株式を所有していたことから、[[上場企業]]としていびつな[[親子上場]]は解消されるべきという思いから投資。結局ニッポン放送はフジテレビの[[TOB]]と[[ライブドア]]の買い進めによって[[上場廃止]]が決定、そこから3年を経た2008年10月、グループは認定持ち株会社体制に移行した。[[阪神電気鉄道]]では本業の鉄道事業の利益水準が他の私鉄に比べて低かったことから、大きな改善と改革の可能性に期待して投資。さらに、自身が生まれ育ち、交通事情を熟知している大阪で、阪神電鉄グループの再編にその他の私鉄も巻き込み、利便性を第一として路線の整理、運営の統合を目指すべきだと考えていたという。将来の改革に向けての交渉を進める中、阪急から阪神に対するTOBが発表された。その直後、東京地検特捜部からニッポン放送株式のインサイダー取引の疑惑で自身に対して呼び出しが行われたことから、阪急側の構想の妥当性について異議を唱えることができないままTOBに応じることとなった<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。のち、[[2006年]][[5月10日]]、[[シンガポール]]への進出を発表した。
 
2006年3月から同年6月まで[[ソフトブレーン]]の[[社外取締役]]を務めた。
 
「[[村上ファンド]]が[[ライブドア]]から重要情報を得て[[ニッポン放送]]株を買っていた」という[[インサイダー取引]]の疑惑が[[マスメディア|マスコミ]]で騒がれ始め、[[特別捜査部#東京地方検察庁特別捜査部|東京地検特捜部]]の捜査の動きがマスコミに流れはじめるが本人は疑惑を否定。2006年[[6月5日]]、11時に[[東京証券取引所]]で記者会見を行い、これまでの姿勢から一転ライブドアの当時の取締役などから重要な情報を「聞いちゃった」と告白した、東京地検特捜部の取調べに対する調書にサインをしたことを明らかにし、[[証券取引法]]違反(インサイダー取引)の容疑を全面的に認めたが、それは意図的なものではなくあくまでも過失だったと主張したのちに、ファンドと社員を守るため自身の過失であったと記者会見で述べざるを得なかったとしている<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。)また、ファンドマネージャーの職を退くと共に[[証券業]]に今後関わらない意向も表明した。その後して、同日17時前、東京地検特捜部の捜査によって[[逮捕]]・[[勾留]]された。
 
=== 逮捕後 ===
その後2006年[[6月23日]]、証券取引法のインサイダー取引容疑で[[起訴]]される([[村上ファンド事件]])。東京地検特捜部の主張によると、一連の取引で得た利益は30億円で、インサイダー取引としては過去最高額である。
 
2006年[[6月26日]]に[[保釈]]が[[東京地方裁判所|東京地裁]]に認められ、保釈金5億円を[[小切手]]で支払って保釈された。村上本人は、「家族や社員が心配だから」として早期の保釈を望んでいたとされている。
 
2006年[[9月15日]]、[[東京地方検察庁|東京地検]]、東京地裁、村上の弁護人の3者により[[公判前整理手続]]が行なわれた。村上は当初、[[ライブドア]]による[[ニッポン放送]]株大量買い占め情報を[[堀江貴文]]前社長から聞いてニッポン放送株193万株を買い付けたというインサイダー取引の容疑の起訴事実について、「聞いちゃったかと言われれば・・・聞いちゃってるんですねぇ」と認めていたという。しかし、この日には、村上は買い占め情報を知った時期を「ライブドアが取締役会で正式決定した後」と述べ、起訴事実を一転全面否認した。
 
2006年[[11月30日]]に初[[公判]]。村上は起訴事実を否認、その後も一貫して無罪を主張し続けた。[[2007年]][[6月12日]]に結審し、村上は「反省すべき点は多かったが、意図的に法を犯すことはしていない」と改めて否認した。
 
東京地裁([[高麗邦彦]]裁判長)は同年[[7月19日]]、村上に対して[[懲役]]2年、[[罰金]]300万円、[[追徴金]]11億4900万円(求刑:懲役3年、罰金300万円、追徴金11億4900万円)の[[実刑]]判決を言い渡した。インサイダー取引事件での実刑[[判決 (日本法)|判決]]は異例であり、また追徴金の額も史上最高である。村上側はこの判決に対して即日[[控訴]]の手続きをった。なお閉廷後直ちに村上は拘束されたが、追加の保釈金2億円を再び小切手で支払い釈放された。この頃から村上は活動の本拠地を[[シンガポール]]へ移動するが、毎月のように日本へ戻って指示を飛ばすようになった<ref name="reno">「[http://toyokeizai.net/articles/-/12787 新生・村上ファンド その野望と内情―この先、村上氏はどう出るのか?]」、[[東洋経済新報社|週刊東洋経済]] 2013年2月9日号</ref>。2007年5月、中間支援団体チャリティ・プラットフォーム(チャリ・プラ)を創設。「日本の資金循環」という視点から、上場企業におけるコーポレート・ガバナンスを追求してきた傍ら、社会的課題に取り組む非営利団体にも、必要とされる資金が行き届いていない現状に問題意識を抱き、ファンドの解散を機に、自ら取り組むことを決意。NPOが継続的に資金を集められる仕組みづくりに、創設者、アドバイザー、支援者として取り組み、自身の関連会社を通じて10億円を超える資金支援も行った。チャリティ・プラットフォームは、日本のNGO活動におけるのリーダー的な存在である[[ピースウィンズ・ジャパン]]の[[大西健丞]]とともに、緊急災害に即応するCivicForceを立ち上げた。そのほか、非営利団体への[[クラウドファンディング]]を行うJustGivingをイギリスからライセンスを得て立ち上げるなど、既存団体の支援のみならず、社会貢献事業における[[インキュベーション]]活動も積極的に支援した<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。
 
2007年[[12月26日]]、[[NPO]]に寄付する中間支援団体チャリティ・プラットフォーム(チャリ・プラ)の[[理事]]に就任<ref>週刊東洋経済2008年2月16日号</ref>。(20112011年の[[東日本大震災]]では震災翌日からCivicForceが現地に入り活動し多くの命を救う。また村上自身は震災後すぐに[[南三陸町]]へ行き、炊き出しボランティアとして、1000個ほどのハンバーグを自ら焼き、また友人知人に声を掛けて現地への支援物資の収集や運搬のサポートを行うなど、積極的な支援活動を行った<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。
一方では、[[2008年]]10月に村上ファンド関係者が入手した[[レノ]]の共同経営に参加<ref name="reno"></ref>。
 
[[2009年]][[2月3日]]、[[東京高等裁判所|東京高裁]]は懲役2年執行猶予3年を言い渡した。罰金300万円と追徴金約11億4900万円はそのままとした。 なお法人として同罪に問われた[[投資顧問会社]]「[[MACアセットマネジメント]]」は、一審判決は罰金3億円だったのを罰金2億円とした。村上・MACアセットマネジメント各被告側は即日[[上告]]の手続きをった。
 
2010年、[[レノ]]は自社株買いにより村上との資本関係を解消した。法的整理を検討していた[[ゼクス (不動産会社)|ゼクス]]から、入居者救済と実父が入居していたこともあり、高級老人ホーム3箇所を約100億円で買収した<ref>[http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/2013110600007.html 老人ホームを営む「村上ファンド」]</ref>。
 
2011年6月7日、[[最高裁判所 (日本) |最高裁]]第1[[小法廷]]([[桜井龍子]]裁判長)は上告を棄却し、懲役2年執行猶予3年、罰金300万円と追徴金約11億4900万円の[[有罪]]判決が確定した<ref>{{cite news|title=村上ファンド元代表の上告棄却|url=http://www.j-cast.com/2011/06/08097842.html|newspaper=J-CASTニュース|date=2011-06-08|accessdate=2012-05-15}}</ref>。一方、村上は同年5月、シンガポールに新会社「CARON」を設立、兄の世博(元三菱商事勤務)が永住権を取得して役員に就任した<ref name="reno"></ref>。
 
=== 表舞台への復帰 ===
2013年頃からは、ファンドマネージャーではなく、200億円とも目される個人資産をバックにした<ref>{{cite web|url=http://toyokeizai.net/articles/-/12787|title=新生・村上ファンド その野望と内情|publisher=[[東洋経済新報|東洋経済]]オンライン|date=2013-02-11|accessdate=2015-07-28}}</ref>投資家として、本人名義および[[C&I Holdings]]・南青山不動産といった投資会社名義で株式投資を再開(一部の報道ではこれらの会社を指して「新生・村上ファンド」と呼ぶこともある<ref name="shikiho">{{cite web|url=https://shikiho.jp/tk/news/articles/0/78498|title=“新生”村上ファンド、再び表舞台に出た真意は?|publisher=[[会社四季報]]オンライン|date=2015-07-28|accessdate=2015-07-28}}</ref>)
 
2015年6月には、C&I Holdingsが投資先の[[黒田電気]]に対して自身を含む4名の社外取締役選任を求める臨時株主総会招集請求を行うなど<ref name="shikiho"/>、かつての「もの言う株主」のポジションを取り戻しつつある。
 
2016年8月、一般財団法人村上財団を設立、長女[[村上絢]]が代表理事に就任した。チャリティ・プラットフォームの設立以降、様々な[[クラウドファンディング]]サイトが次々と立ち上がり、多くの人々が寄付に対して積極的に動くようになったことから、次に、自身が主体的な寄付者として日本の[[非営利団体]]の活動を応援すべく、ファミリー財団の設立に至った<ref>[https://www.buzzfeed.com/jp/daisukefuruta/murakami-life-story 日本を揺るがした投資家が寄付の世界へ] BuzzFeed NEWS 2017/09/24</ref>。寄付には、営利事業により得た収益から充てるとしている<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。
 
=== 強制調査 ===
2015年11月25日、証券取引等監視委員会により金融商品取引法違反(相場操縦)容疑で自宅や長女宅などが強制調査された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25HCJ_V21C15A1EA2000 村上元代表を強制調査 アパレル株の株価操作の疑い 証券監視委]</ref>。これに対して12月「相場操縦をする意図も理由もないこと」「借名口座は使っていないこと」「空売り自体が市場に誤解を与えるものではないこと」を挙げて疑惑に反論した<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/95336?page=2 村上ファンドは本当に「相場操縦」をしたのか ]</ref>。その後、2016年3月、村上側は「相場操縦罪は成立しない可能性が濃厚」との調査結果を監視委に提出した<ref>[http://jp.reuters.com/article/tsi-idJPKCN0WR0FP 村上ファンドのTSI株相場操縦罪、成立しない可能性濃厚=第三者委]</ref> 。この調査結果は、村上側の依頼により編成された第三者委員会(委員長=[[宗像紀夫]] ・弁護士)が問題の株取引を調査し、大学教授ら専門家に意見を聞き、過去の相場操縦事件と比較するなどして検証を進めたという<ref>「[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H8L_V20C16A3CR8000/ 村上氏株取引『相場操縦に当たらず』 第三者委が報告書]」(日本経済新聞 2016年3月25日)</ref> 。第三者委員会委員長の[[宗像紀夫]]は元東京地検特捜部長、[[内閣官房参与]]。
2015年11月25日、証券取引等監視委員会により金融商品取引法違反(相場操縦)容疑で自宅や長女宅などが強制調査された
また、強制調査を受けた長女村上絢は当時妊娠7カ月で、産休中で業務から離れており、嫌疑対象の時期を含め売買判断に全く関与していなかったにもかかわらず度重なる調査を受けたストレスから死産する<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。これを契機に自身が再び表に出て自分の理念や信念ときちんと伝えなければならないと思い、自身が持ち続けてきた[[上場企業]]のあるべき姿についての信念を単行本の形で世に出すことを決意し<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>、2017年6月、自著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』(文藝春秋)を上梓。
<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25HCJ_V21C15A1EA2000 村上元代表を強制調査 アパレル株の株価操作の疑い 証券監視委]</ref>。これに対して12月「相場操縦をする意図も理由もないこと」「借名口座は使っていないこと」「空売り自体が市場に誤解を与えるものではないこと」を挙げて疑惑に反論した<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/95336?page=2 村上ファンドは本当に「相場操縦」をしたのか ]</ref>。その後、2016年3月、村上側は「相場操縦罪は成立しない可能性が濃厚」との調査結果を監視委に提出した<ref>[http://jp.reuters.com/article/tsi-idJPKCN0WR0FP 村上ファンドのTSI株相場操縦罪、成立しない可能性濃厚=第三者委]</ref> 。この調査結果は、村上側の依頼により編成された第三者委員会(委員長=[[宗像紀夫]] ・弁護士)が問題の株取引を調査し、大学教授ら専門家に意見を聞き、過去の相場操縦事件と比較するなどして検証を進めたという<ref>「[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H8L_V20C16A3CR8000/ 村上氏株取引『相場操縦に当たらず』 第三者委が報告書]」(日本経済新聞 2016年3月25日)</ref> 。第三者委員会委員長の[[宗像紀夫]]は元東京地検特捜部長、[[内閣官房参与]]。
その後証取委は、検察の起訴が見込めなかったため刑事告発を断念した<ref>[https://www.sankei.com/smp/affairs/news/180419/afr1804190033-s1.html 村上世彰氏らの刑事告発断念 相場操縦「起訴見込めず」 証券監視委]</ref>。
また、強制調査を受けた長女村上絢は当時妊娠7カ月で、産休中で業務から離れており、嫌疑対象の時期を含め売買判断に全く関与していなかったにもかかわらず度重なる調査を受けたストレスから死産する<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>。これを契機に自身が再び表に出て自分の理念や信念ときちんと伝えなければならないと思い、自身が持ち続けてきた[[上場企業]]のあるべき姿についての信念を単行本の形で世に出すことを決意し<ref name = "shougaitoushika">村上世彰著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』文藝春秋、2017年6月、ISBN 978-4-16-390665-2</ref>、2017年6月、自著『[http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163906652 生涯投資家]』(文藝春秋)を上梓。
その後証取委は、検察の起訴が見込めなかったため刑事告発を断念した<ref>[https://www.sankei.com/smp/affairs/news/180419/afr1804190033-s1.html 村上世彰氏らの刑事告発断念 相場操縦「起訴見込めず」 証券監視委]</ref>。
 
=== 出光・昭和シェル統合 ===
石油元売り大手の[[出光興産]]株式会社と[[昭和シェル石油]]株式会社は2015年7月に両社の経営統合について協議を開始したが、出光の大株主である創業家が反対し、出光経営陣と創業家は一時没交渉となった。2017年秋、村上世彰は、創業家と親しい財界人から創業家への助言を依頼され、「部外者としてではなく株主目線で誠実に関わろう」と考え、2018年初めに出光株を1%弱取得。同年2月頃からは出光経営陣とも接触し、創業家と経営陣の橋渡しを担った。その後、村上の橋渡しにより、2018年7月10日、出光興産と昭和シェル石油が統合合意を正式発表した。出光興産会長の[[月岡隆]]は記者会見で、「''著名な投資家である''村上世彰氏が、創業家の相談相手になり、公正な立場から、''創業家を含む全てのステークホルダーの共同利益の向上のために、''統合の必要性について助言したことが当社と創業家の関係改善につながったのは事実。村上氏が無私の立場から尽力したことに感謝している」と異例の謝辞を述べた<ref>[https://toyokeizai.net/articles/-/228964 “出光・昭シェル、経営統合が実現した舞台裏”] 東洋経済オンライン 2018/7/10</ref><ref>[https://diamond.jp/articles/-/174856 “出光・昭シェル統合に“物言う株主”が突き付けた「新条件」”] ダイヤモンドオンライン 2018/7/17</ref><ref>[https://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/180713/ecn18071308000001-n1.html “村上世彰氏、出光創業家との合意は「大きな意味」”] 産経デジタル 2018/7/13</ref><ref>[http://www.sankeibiz.jp/business/news/180713/bsc1807130500004-n1.htm “「株主目線で誠実に関わる」村上世彰氏、創業家との橋渡し担う”] SankeiBiz 2018/7/13</ref><ref>[http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/071000838/ “意見分かれた出光創業家の「兄弟」”] 日経ビジネスONLINE 2018/7/11</ref><ref>[https://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/180710/ecn18071021590027-n2.html “出光・昭和シェル統合 背中押した「物言う株主」村上世彰氏の動き”] 産経デジタル 2018/7/10</ref><ref>[https://www.asahi.com/articles/ASL7B5FTBL7BULFA02V.html “村上氏が一計、出光創業家動かす”] 朝日新聞DIGITAL 2018/7/11</ref><ref>[https://www.sankeibiz.jp/business/news/180711/bsc1807110500003-n1.htm “出光・昭和シェル統合、村上氏まとめ役 「名を捨て実を取る」戦略”] SankeiBiz 2018/7/11</ref><ref>[https://www.bloomberg.com/news/articles/2018-07-16/the-scourge-of-japan-s-boardrooms-turns-peacemaker-with-big-win “The Scourge of Japan's Boardrooms Turns Peacemaker With Big Win”] Bloomberg 2018/7/17</ref>。
 
== 著書 ==