「金剛證寺」の版間の差分

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1894年(明治27年)に、金剛證寺の近くの経ヶ峯から複数の[[平安時代]]末期の1173年(承安3年)の銘のある経塚が発見されたほか、1960年(昭和35年)の[[伊勢湾台風]]でも経塚が発見され、この平安末期には[[埋経信仰]]があったことが確認された。このときの出土品の経筒などは1963年(昭和38年)に[[国宝]](考古資料)に指定され、経塚は1966年(昭和41年)に'''朝熊山経塚群'''として[[史跡|国史跡]]に指定された。「線刻阿弥陀三尊来迎鏡像などの「朝熊山経ヶ峯経塚出土品」は、金剛證寺の境内にある宝物館で見ることができる。
 
朝熊山付近では江戸期以降、宗派を問わず葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に[[塔婆]]を立て供養する風習<!-- 『伊勢志摩を歩く』皇學館大学より「岳詣(たけもうで)」の一つ--><!--:通称「岳さん参り」ですが、出典不明です-->がある。
 
== 文化財 ==