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'''2010年ハイチ地震'''は、[[東部標準時|ハイチ時間]]の[[2010年]][[1月12日]]16時53分([[協定世界時|UTC]]21時53分)に[[ハイチ|ハイチ共和国]]で起こった[[マグニチュード]] (M) 7.0の[[地震]]である

地震の規模の大きさやハイチの政情不安定に起因する社会基盤の脆弱さが相まり、死者が31万6千人程に及ぶなど単一の地震災害としては[[スマトラ島沖地震 (2004年)|スマトラ島沖地震]]に匹敵する近年空前の大規模なものとなった。
 
== 地震の詳細 ==
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=== ハイチ周辺の地質 ===
[[ファイル:Gonâve microplate.png|220px|thumb|ハイチ付近のプレートと動き]]
この地域は、[[バハマ諸島]]を乗せた[[北アメリカプレート]]がハイチを含む[[イスパニョーラ島]]や[[キューバ]]を乗せた[[カリブプレート]]が衝突している北イスパニョーラ[[海溝]]の南側にあたる。プレート境界であるため広く見れば地震活動が活発ではあるが、地殻内地震(直下型地震)の発生はあまり多くない地域だった<ref name="eriut" />。
 
この地域の主な断層として、キューバ南岸からイスパニョーラ島北岸を横切るセプタントリオナル (Septentrional) 断層、イスパニョーラ東南岸を横切るエンリキロ断層の2つがある。いずれも左横ずれ断層で、[[18世紀]]以降の記録から、数度の大地震が発生したことが判明している。今回の地震の震源に近いところでは、エンリキロ断層(ハイチ南東部)で[[1751年]]に、またその西隣のエンリキロ断層(ハイチ南西部)で[[1770年]]にそれぞれ大きな地震が発生している。また、1751年の地震の際には、同じ年にドミニカ南岸のムエルトス (Muertos) [[トラフ (地形)|トラフ]]で大地震が発生している<ref name="eriut" />。ムエルトストラフはエンリキロ断層の延長線上にあり、今回の地震も同様に影響を与える可能性もある([[地震空白域]]参照)。
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[[ファイル:Haiti_earthquake_damage_overhead.jpg|220px|thumb|首都の倒壊した建物と広場に避難した人々]]
[[ファイル:Hotel Montana Haiti after earthquake.jpg|220px|thumb|観光客に人気があるとされるモンタナ・ホテルも倒壊]]
ポルトープランスでは大統領府<ref>3階部分が完全に倒壊し、大統領執務室も被害を受けていた。大統領府では警護員3人が死亡、2人が行方不明になっている。(2010年2月11日の「[[NEWS ZERO]]」([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)より)</ref><ref>2011年1月現在でも修理の跡は見られない</ref>や国会議事堂を始めとする多くの建物が倒壊し<ref>[http://www.nikkei.co.jp/news/main/20100113ATGM1301813012010.html ハイチ地震、大統領府など倒壊 現地報道] [[日本経済新聞]] 2010年1月13日閲覧</ref>、天井・床が重なって潰れる[[パンケーキクラッシュ]]を起こしている<ref name="yomiuri0115">読売新聞2010.1.15朝刊</ref>。このため、地震直後は大統領や閣僚すら屋内に寝る場所がなく、[[ホームレス]]状態となった<ref>{{cite news |title=ハイチ大統領「自国の力で難局を克服できないのは残念」 |newspaper=[[中央日報]] |date=2010-1-5|url=http://japanese.joins.com/article/113/125113.html|accessdate=2013-10-6}}</ref>。

2月3日[[ジャン=マックス・ベルリーヴ]]首相は政府の集計で死者が20万人を超えた事を議会上院に報告<ref name="jiji-0203-2010020300362">{{Cite web|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010020300362|title=大地震の死者20万人超える=議会選は無期延期-ハイチ|author=時事ドットコム|date=2010-02-03 |accessdate=2010-02-03 }}この数値は建物の下敷きとなっていたり親族が当局に報告せず埋葬したものを含んでおらず、死者数は今後も増えるとみられている</ref>、[[ルネ・ガルシア・プレヴァル]]大統領は同10日に17万人を埋葬したと発表、同9日と10日にはラセグ文化・情報相が死者はそれぞれ23万人・21万人と発表、ビアンエメ内相は21万7000人余りの死亡を確認したとしているなど、政府内の死者数の情報は混乱している<ref>{{Cite web|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20100211-OHT1T00132.htm|title=ハイチ大地震の死者数混乱|author=スポーツ報知|date=2010-02-11|accessdate=2010-02-11}}</ref>。同3月17日に開かれた復興支援会合では、死者22万2570人、負傷者31万928人、行方不明者869人、被害総額は77億5000万ドル余りだと発表された<ref>{{cite news|url=http://mainichi.jp/select/world/news/20100318k0000e030010000c.html|title=ハイチ大地震:死者は22万人…復興支援会合で報告|newspaper=毎日新聞|date=2010-03-18|accessdate=2010-03-18}}</ref>。

[[2011年]]1月12日、ベルリーブ首相は記者会見で死者が31万6千人以上に達したと発表したが、震災後に行われた集団埋葬のために正確な数の把握は難しいものとなっている<ref>『ハイチ大地震死者31万6000人 大幅上方修正』 読売新聞 2011年1月14日</ref>。
 
また、水道や電力供給網等の[[ライフライン]]にも壊滅的な被害が及んでおり<ref name="yomiuri-20100114-OYT1T00479">[http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100114-OYT1T00479.htm ハイチ首都壊滅、死者数十万人の恐れも] 2010年1月14日付 読売新聞</ref><ref name="mainichi20100113">[http://mainichi.jp/select/world/news/20100113dde041030010000c.html ハイチ大地震:家失い路上に数千人 停電の夜、余震におびえ 毎日新聞]</ref>、ポルトープランスの3/4が再建の必要があると見られている<ref name="Haitian crush">[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-13371720100116 ハイチ当局は地震犠牲者数20万人との見方、暴力行為も] ロイター 2010年1月17日閲覧</ref>。今回の地震に伴いハイチ政府の選管当局は、2月と3月に予定していた議会選挙の無期限延期を決めている<ref name="jiji-0203-2010020300362" />。
 
朝日新聞や時事通信によると、隣国である在ドミニカ共和国日本大使館の[[四宮信隆]]大使の話として「ハイチの日本大使館が入っている建物の壁にひびが入り、家具が倒れるなどの被害が出たが、館内にいた職員5人とその家族は避難して無事であった」「戸別訪問を通じて、国内在住の日本人10人の安否の確認を急ぎたい」と報じた<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010011300095 ハイチでM7.0の強い地震=多数の建物倒壊、死者数千人の恐れ]</ref><ref>[http://www.asahi.com/international/update/0113/TKY201001130122.html ハイチで大地震、数千人生き埋め情報 大統領官邸も倒壊]</ref>。
 
[[国際赤十字赤新月社連盟]]は、被災者は総人口の約1/3にあたる300万人が被災したと推計しており<ref name="yomiuri-20100114-OYT1T00479" />、各国の救援チームが現地入りし倒壊した建物に取り残された人々たちの救出活動に加わっている<ref>[http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011401000641.html ハイチ地震、国際救援活動本格化 治安悪化も] 47NEWS 2010年1月14日閲覧</ref>。
 
プレヴァル大統領は日本時間1月14日同国内の平和維持活動に従事していた[[国際連合ハイチ安定化ミッション|国連ハイチ安定化派遣団]](MINUSTAH)のエディ・アナビ([[:en:Hédi Annabi|Hédi Annabi]])代表がこの地震で死亡したことを確認したとしていた。国連側は否定していたが<ref name="chunichi-20100114">[http://www.chunichi.co.jp/article/world/news/CK2010011402000235.html ハイチ大地震 ベルリーブ首相「死者10万人超」] 2010年1月14日付 [[中日新聞]]夕刊</ref>、日本時間17日に同代表とルイス・カルロス・ダ・コスタ (Luiz Carlos da Costa) 副代表、ダグ・コーツ (Doug Coates) 警察本部長代理が死亡したことを発表した<ref>[http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010011701000030.html ハイチPKO代表らの死亡確認 国連の死者、最悪80人] CHUNICHI Web 2010年1月17日閲覧</ref>。現地に赴いた[[潘基文]][[国連事務総長]]も同代表の遺体を確認し、発見した[[中華人民共和国]]の国際救援隊に謝意を述べた<ref>{{Cite web|url=http://j.people.com.cn/94475/6871789.html|title= 中国国際救援隊、国連駐ハイチ代表トップの遺体を発見|publisher=[[人民網]]||date=2010-01-18
|accessdate=2018-09-05}}</ref>。また人道支援活動のためにポルトープランスに滞在していたブラジル出身の小児科医で人道支援活動家の[[ジウダ・アルンス]]<ref>{{Cite web|url=http://www.undispatch.com/node/9407|title=Haiti Earthquake, the Day After|author=UN DISPATCH|date=2010-01-13 |accessdate=2010-01-21 }}</ref>、地元出身の[[MC (ヒップホップ)|ヒップホップアーティスト]]である[[ジミー・O]]([[:en:Jimmy O|Jimmy O]])<ref>{{Cite web|url=http://marquee.blogs.cnn.com/2010/01/15/haitian-hip-hop-artist-charity-worker-found-dead-after-quake/?hpt=T2|title=Haitian hip-hop artist, charity worker found dead after quake|publisher=[[CNN]]||date=2010-01-15
|accessdate=2011-03-03}}</ref>、[[カトリック教会]]の[[ジョセフ・セルジュ・ミオ]][[大司教]]<ref>{{Cite web|url=http://www.foxnews.com/story/0,2933,582942,00.html|title= Haiti Archbishop Killed in Quake as Churches, Cathedral Reduced to Rubble|publisher=[[FOXニュース]]||date=2010-01-13
|accessdate=2011-02-27}}</ref>がこの地震によってポルトープランスで死亡した。また刑務所も崩壊し受刑者4000人が脱獄している<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100116-OYT1T00578.htm ハイチで刑務所倒壊、受刑者4000人脱獄]</ref>。
 
ポルトープランスでは略奪行為が発生しており、ハイチ政府は[[1月17日]]に1月末まで非常事態宣言を発し、午後6時以降の夜間外出禁止令を出していた<ref>[http://mainichi.jp/select/today/news/20100118k0000e030027000c.html ハイチ大地震:政府が非常事態宣言 埋葬者は7万人] 毎日新聞 2010年1月18日閲覧</ref>。同21日には窃盗の疑いで20歳の男性が警官によって射殺される<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/news/2010/01/24/09.html 混乱続くハイチ…コメ泥棒の疑いで射殺]</ref>など、混乱状態が続いていた。
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2010年10月、[[ハリケーン]]などによって発生した大規模洪水により衛生状態が悪化したことから[[ハイチのコレラ流行|コレラ感染]]が深刻化しており、米国疾病対策センター (CDC) は11月11日の時点で、死者800人に達したと報じている<ref>ロイター通信、2010年11月13日閲覧</ref>。コレラ感染では、最終的には1万人もの死者が出た。
 
島国であるハイチにはこれまで[[コレラ菌]]がいないものと考えられていたにも関わらず、コレラが流行した。流行が始まったのが[[国際連合平和維持活動|PKO]]の[[ネパール]]部隊の宿営地付近だったことから、原因は洪水ではなく国連がコレラ菌を持ち込んだためという主張がなされていた。2016年8月18日、国連はコレラ発生に関する責任を認めた<ref>{{cite news |title=ハイチのコレラ大流行、国連がようやく責任認める|newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2016-8-19 |url=http://www.afpbb.com/articles/-/3098043 | accessdate=2016-8-20|author=Amelie BARON}}</ref>。
 
2011年にはすでに専門家による調査でネパールから派遣された平和維持軍が疾病の震源地であることが指摘されていたが、国連は平和維持軍の「免責特権」を掲げて5年間、被害を放置した<ref>{{cite news |title=[特派員コラム]「身を燃やし尽くす覚悟」という潘基文前国連総長 |newspaper=[[ハンギョレ]] |date=2017-1-6 |url=http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/26154.html | accessdate=2017-1-7 }}</ref>。
 
=== 被害の背景 ===
ハイチは長年不安定な政情が続き、統治能力を欠く政府では安全に備えがされていなかった。現地の建物は[[鉄筋コンクリート]]のフレームに素焼き煉瓦を積み上げて壁にする工法が主流だが、この際各階の[[床スラブ]]を[[梁 (建築)|梁]]を使って補強しなくてはならない。しかし建設業界では「手抜き」と「賄賂」が蔓延し、いい加減な計画書でも許可されることが多かった<ref name="mainichi20100113" /><ref name="yomiuri0115"/>。
 
== 復興支援活動 ==
[[ファイル:Helping Haiti.PNG|250px|thumb|ハイチを支援している国々]]
[[ファイル:Haiti camp.jpg|220px|thumb|ブラジル軍が設営したキャンプで手当てを受けている人々]]
ハイチでの地震発生を受け[[日本政府]]は、[[2010年]][[1月14日]]、500万ドルを上限とする無償援助や3000万円分のテントなど援助物資も供与することを発表した<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/1/0114_01.html ハイチの地震被害に対する支援] 平成22年1月14日付 外務省</ref>。1月15日には医療チームの派遣も決定され、外務省中東アフリカ局中東第一課(地域調査官)を団長に医師、看護師の団員により構成される総勢25名の医療チームが翌16日21時頃、成田よりJALチャーター機でマイアミに向け出発し、現地での治安状況、安全確保対策等を確認した上、マイアミからハイチまで自衛隊輸送機(C-130)で輸送され、2週間の活動を実施した。活動拠点は首都ポルトープランスから西へ20kmのレオガンにおかれたが、発災後1週間経過しての現地入りであったにもかかわらず、レオガンで最初の医療支援団体となり、現地での診療は多大な感謝を持って迎えられた。
 
また、[[防衛省]]は現地へ派遣した調査団の調査報告結果を待って地震発生時点で米国[[アリゾナ州]]で共同演習を行っていた[[C-130 (航空機)|C-130輸送機]]、および[[フロリダ州]]に確保してある救援物資の活用を検討し<ref>[http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2010/01/15.html 北澤俊美防衛大臣記者会見] 防衛省大臣記者会見 2010年1月15日午前</ref>、[[国際協力機構|JICA]]による支援の不足分を自衛隊で補うことを発表した<ref>[http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2010/01/15a.html 北澤俊美防衛大臣記者会見] 防衛省大臣記者会見 2010年1月15日午後</ref>。医療チームの活動を引き継ぐ形で、2010年1月20日、防衛省は[[陸上自衛隊]][[第13後方支援隊]]長以下100名からなる「ハイチ国際緊急医療援助隊」の派遣を決定し、翌21日、同隊は現地に向け日本を出国した<ref>{{Cite web|url=http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012001000430.html|title=自衛隊医官ら100人ハイチへ 防衛相が援助隊派遣命令|author=共同通信|date=2010-01-20 |accessdate=2010-01-23 }}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00170419.html|title=自衛隊のハイチ国際緊急医療援助隊およそ100人が成田空港から出発|author=FNNニュース|date=2010-01-22 |accessdate=2010-01-23 }}</ref>。1月25日、[[カナダ]]の[[モントリオール]]で開かれた復興支援の閣僚級会合に出席した[[武正公一]]外務副大臣は追加支援策として約7000万ドル(約63億円)の拠出を表明した<ref name="mainichi-20100126-canada">{{Cite web|url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20100126dde007030062000c.html|title=ハイチ大地震:復興支援、3月に国際会議|author=毎日.jp|date=2010-01-26 |accessdate=2010-01-26 }}</ref>。同日、日本政府は国連の平和維持活動に自衛隊の施設部隊を派遣する方針を決めた。規模は約300人とする方向で調整している。がれきの除去や道路の補修などを行うためで、治安維持には携わらないとしているが、護身用の小火器を携行する<ref>[http://mainichi.jp/select/world/news/20100126k0000m010085000c.html ハイチ大地震:PKOで陸上自衛隊を派遣 政府が方針] 2010年1月25日, 毎日新聞</ref>。
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== 支援活動に乗じた犯罪 ==
国連の[[PKO]]隊員が薬やベビー用品などと引き換えに現地女性に性交渉を要求し、220人以上が応じていたことが[[2015年]]に報じられた<ref>{{Cite news |title= 国連PKO隊員、物資の見返りに“性交渉”か|newspaper=TBS |date= 2015-06-12|author= |url=http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2515676.html |accessdate=2015-06-12}}</ref>。
 
== その他 ==
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* 多数の遺体が路上に置かれた状態になっており、熱帯性気候の影響もあり衛生状態の悪化が懸念される。このように路上に放置されたままになっている理由は、被害そのものが大きいのもさることながら、遺体発見をしやすくするために付近住民が配慮したためというのもある。さらに、ハイチに[[カトリック教会|カトリック]]と共に信仰されている[[ヴードゥー教]]の影響が大きいとされる。ヴードゥー教は遺体に対しての尊厳が強いため、同教の儀式に則るまで遺体を触らせない者が多いと国連ハイチ安定化派遣団の主力部隊である[[ブラジル]]の国防省関係者が述べている<ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/world/news/CK2010011702000122.html 『国際支援、徐々に本格化 ハイチ大地震』内にある『路上に犠牲者放置 儀式前は触らせず』より。]2010年1月17日 中日新聞朝刊</ref>。
* [[オランダ]]や[[ルクセンブルク]]で[[養子縁組]]となるハイチの[[孤児]]が、被災後にハイチを出発しオランダの[[アイントホーフェン空港]]に到着した。ハイチ政府の正式な手続きを経てから出国しており、今後は両国で新生活を送る<ref>{{Cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100122/erp1001220911000-n1.htm|title=【ハイチ大地震】孤児ら123人がオランダに到着、養子縁組へ|author=産経ニュース|date=2010-01-22 |accessdate=2010-01-23 }}</ref>。一方で[[国際連合児童基金]]は、保護者を失った震災孤児が養子縁組のために国外に連れ去られるとして空港での出国監視を行うと発表した。国連児童基金の職員によると、既に病院から不法に児童が連れ去られる事件が数件起きていると指摘しており、これまでに約15人の児童が連れ去られ行方不明扱いになっている<ref>{{Cite web|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010012201063|title=病院で子供連れ去りも=被災地のハイチ-ユニセフ|author=時事ドットコム|date=2010-01-22 |accessdate=2010-01-23 }}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012201000125.html|title=ハイチの震災孤児連れ去り防げ ユニセフが空港監視|author=共同通信|date=2010-01-22 |accessdate=2010-01-23 }}</ref>。
* [[mixi]]内では、被災者に[[千羽鶴]]を送るための活動が始まっており全国に5つの支部が作られている。呼びかけ人によると、食糧不足が取りざたされる地域に千羽鶴を送る事についての批判もあるが、家族を失い悲しむ人々に鶴を送ることで貴方は1人ではないとの思いを伝えたいとしている。千羽鶴はハイチの情勢が安定したころに送り届けたいとしている<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100125/tky1001251835010-n1.htm ハイチ大地震の被災者に千羽鶴を ミクシィで広がる支援の輪]</ref>。一方で、この活動についてネット上では論議が広がっており、[[阪神・淡路大震災]]の経験から千羽鶴は必要でないとの批判や<ref>[http://news.leaf-hide.jp/news_NRyz8Dt6n.html 気持ちは伝わるか、ハイチ被災者に千羽鶴]</ref>、ハイチで救助活動を行っているとされる日本人からは「千羽鶴は加熱調理の種火や放火程度にしか使われない」「千羽鶴を運ぶスペースに医薬品や食料を詰め込むことが被災者の望みである」と批判的に語られている<ref>[http://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/20100127_344949.html 「ハイチの被災者に千羽鶴を送ろうプロジェクト」に賛否の声 ほか]</ref>。ハイチに詳しい支援団体は「理解は難しい」「宗教的な事情もあり配慮が必要では」と難色を示している。また、ハイチ共和国の大使館関係者によると「自己満足のために行動するのではなく相手の気持ちを考えて欲しい」「日本から送られた鶴は悪魔の象徴などと結びつかず問題はそんなにない」「日本を知っている方から言葉で説明をすれば喜んで受け取られるのでは」と、千羽鶴の送付に関してはNGO団体に比べて好意的に受け取っており「大使館に来れば対応を考える」としている<ref>[http://www.j-cast.com/2010/01/27058874.html 「ハイチに千羽鶴贈ろう」 被災者喜ぶのか、迷惑なのか]</ref>。
* [[東京ヤクルトスワローズ]]にて2010年にプレイした[[エウロ・デラクルス]]がキャンプに参加するためにドミニカ共和国から来日した際、この地震によりアメリカ経由の[[査証|ビザ]]が取得できなかった。このため、キャンプ開始から6日経ってからの来日となった<ref>{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/02/07/09.html|title=ハイチ地震余波で“遅刻” 新外国人ヤっと来日|author=スポニチ|date=2010-02-07 |accessdate=2010-02-09 }}</ref>。