「定常経済」の版間の差分

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'''定常経済'''すなわち'''定常状態の経済'''({{lang-en-short|steady-state economy}})とは一定の''物理的な''財産([[資本]])と一定の[[人口|人口規模]]から成り立つ経済である。実際には、このような経済は時間経過において[[経済成長|成長]]しない。その用語は通常特定の国の[[経済|国民経済]]を指すが、しかしそれはひとつの都市や地域、もしくは[[世界経済|世界]]の経済システムについても適用しうる。初期の[[経済思想史]]において、18世紀の[[古典派経済学|古典派経済学者]]の[[アダム・スミス]]は経済の''定常状態''({{lang-en-short|stationary state}}})の概念を展開した:スミスは世界のいかなる国民経済も早晩[[定常]]の終局状態に落ち着くだろうことを信じた。
 
1970年代以降、定常状態の経済の概念は[[環境経済学|環境経済学者]]の[[ハーマン・デイリー]]の主導の仕事をもって主に関連してきた。{{sfnp|Daly|1991|page =xi-xvi}}経済を通した[[天然資源]]の流通の環境的な分析を含んだ''定常状態''({{lang-en-short|steady-state}})のデイリーの概念として、彼の概念は''定常状態''({{lang-en-short|stationary state}})の元来の古典派の概念とは違っている。一つの他の違いは、すべての資源利用における永久の政府の制約を課することで定常状態の経済を創設するような直接の政治的行動をデイリーは勧める。これに反して古典期の経済学者らは、どのような経済の終局の定常の状態もいかなる政府の干渉なしにそれ自身で展開されることを信じた。{{sfnp|Blaug|1958}}{{rp|page =135f}}{{sfnp|Daly|Farley|2011|page =55f}}
 
世界の[[エコロジカル・フットプリント|環境問題の増加]]は定常経済の概念における広い関心を引き起こしている。定常経済の批判者たちは通常それを次のようなことをもって反対理由として挙げる:
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{{main |古典派経済学}}
{{see also |利潤率の傾向的低下の法則}}
[[アダム・スミス]]と以降の、[[古典派経済学|経済学の理論化の古典的時代]]での経済学者らは、一方での耕作に適した農地の希少性と、他方での人口ならびに資本の成長の間の対比への点から見て、社会の一般的な発展を述べた。総生産からの収入は、地主、資本家ならびに労働者への順に地代、利潤ならびに賃金として分配され、これら三[[社会階級|階級]]は彼らの自らの分配の増大のための努力において絶え間なく従事した。(正味の投資の)資本の蓄積は早晩に[[利潤率の傾向的低下の法則|利潤率の最小化または消滅]]として終わるだろう。その時点において、経済は、一定の人口規模と一定の資本蓄積をもった終局の定常状態に落ち着くだろう。{{sfnp|Daly|1980|page =3}}{{sfnp|Blaug|1958}}{{rp|page=285}}
 
==脚注または引用文献==