「リベルタドーレス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m +出典の明記
6行目:
 
== 概要 ==
リベルタドーレスの多くは[[クリオーリョ|クリオージョ]]と呼ばれた現地生まれの[[ブルジョワジー]]の子弟であり、軍隊指揮に関する訓練の経験を持ち合わせていた。また彼らの多くは[[識字]]能力のみに留まらず[[ヨーロッパ]]風の家庭教育を通じて高い水準の[[教養]]をも身につけた[[知識人]]であり、[[18世紀]]末の[[フランス大革命]]や[[アメリカ独立革命]]、それらに続く[[19世紀]]の[[ナポレオン戦争]]、[[ハイチ革命]]、[[七月革命]]といった歴史的事件をもたらした[[自由主義]]から思想的な影響を大きく受けるとともに、[[新聞]]等の近代的な[[文字媒体]]を通じて内外の[[世論]]形成に自ら参画できる能力的素地を有していた。
 
今日、最も代表的なリベルタドーレスとして知られているのは[[シモン・ボリーバル]]と[[ホセ・デ・サン・マルティン]]である。ボリーバルは南米大陸の北部、サン・マルティンは南米大陸の南部を主な活動拠点とし、スペインを中心とした[[ヨーロッパ]]の[[宗主国]]に対する独立戦争において重大な役割を果たした。彼らは1822年[[グアヤキル]]で会談している。
40行目:
[[Category:革命家]]
[[Category:南アメリカの人物]]
[[Category:スペイン語の語句]]
[[Category:ポルトガル語]]