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[[Image:Michelle Pfeiffer and David E. Kelley.jpg|right|180px|thumb|デビッド・E・ケリーとミシェル・ファイファー、1994年の[[エミー賞]]にて]]
'''デビッド・Eエドワード・ケリー'''もしくは'''デイヴィッド・Eエドワード・ケリー'''({{lang-en-short|David Edward Kelley}}、[[1956年]][[4月4日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[脚本家]]、[[テレビドラマ]][[プロデューサー]]、[[映画プロデューサー]]である。
 
[[メーン州]]生まれ。[[プリンストン大学]]および[[ボストン大学]]の[[ロー・スクール (アメリカ合衆国)|ロー・スクール]]で学んだ後、[[ボストン]]にて[[弁護士]]として働いていたが、1980年代にシナリオ執筆に関わるようになり、[[L.A.ロー 七人の弁護士]]の数エピソードの脚本を担当したことが彼にとって最初のキャリアとなった。
 
弁護士を題材とするドラマの制作が多く、代表作に刑事弁護を描いた『[[ザ・プラクティス ボストン弁護士ファイル|ザ・プラクティス]]』や民事裁判を描いた『[[アリー my Love|アリー {{lang|en|my Love}}]]』・『[[ボストン・リーガル]]』などがある。いずれも彼自身が弁護士として働いていたボストンを舞台としている。また、この3作品は、『ザ・プラクティス』と『アリー {{lang|en|my Love}}』とが相互に[[クロスオーバー作品|クロスオーバー]]を行って主要キャストが相手方の作品に同じ役でゲスト出演し、そして『ボストン・リーガル』が『ザ・プラクティス』の[[スピンオフ]]作品であることから、同一の世界観を共有している。