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→‎当主: 中興は地元では「なかおく」と読みます
# [[本間大吉]] - (四郎左エ門)寛文7年([[1667年]])没(墓の所在地:興源院)
 
佐渡中興(なかお)の本間四郎左エ門泰秀が雑太の本間信濃守憲泰の娘婿となり、雑太本間家の家督を継承した。泰秀の嗣子四郎左エ門大吉は[[佐渡奉行|佐渡奉行所]]地役人に召出され、佐渡相川に移住した。大吉には宣儀、平秀、蕃儀の三子があり、平秀が佐渡奉行所地役人を継承し、6代後の今井彦一まで継続して佐渡奉行所地役人を務めている。宣儀(権左エ門)は中興本間家を継ぎ、[[2012年]]現在、宣儀から数えて12代目となる子孫が佐渡市中興(旧金井町中興)に在住している。宣儀と平秀の子孫の墓は、いずれも中興本間家の菩提寺である興源院(佐渡市中興)にある。
佐渡本間氏の[[嫡流]]である雑太家の流れを汲む中興本間家は350年以上の時を経て現在に続いている。
 
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