「ジョゼフ・ブラック」の版間の差分

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== 生涯 ==
ジョゼフ・ブラックは1728年4月16日、[[フランス王国|フランス]]の[[ボルドー]]で生まれた。父ジョン・ブラックはスコットランド系で[[アイルランド王国|アイルランド]]・[[アルスター]]州[[ベルファスト]]出身のワイン商人で、ボルドーに拠点を持っていた。母マーガレットはスコットランド・[[アバディーンシャー]]州出身で、やはりワイン商人の家系であった<ref name="wiki">[[:en:Joseph_Black]] 2014年6月24日閲覧。</ref><ref name="gla">http://www.chem.gla.ac.uk/~alanc/dept/black.htm 2014年6月24日閲覧。</ref>
<ref name="wiki">[[:en:Joseph_Black]] 2014年6月24日閲覧。</ref>
<ref name="gla">http://www.chem.gla.ac.uk/~alanc/dept/black.htm 2014年6月24日閲覧。</ref>
 
ジョゼフは12歳からベルファストの[[グラマースクール]]でラテン語、ギリシャ語などを学び、1744年の16歳のとき[[グラスゴー大学]]へ入り、[[リベラル・アーツ]]を学んだ。1747年に赴任してきた医学教授[[ウィリアム・カレン]]の講義を聞き、医学と化学に強い興味を持ち、医学の道へ進んだ。ブラックはカレンの実験助手を数年間つとめている。
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ブラックはまた、融点にある氷に熱を加えても氷/水混合物の温度は上昇せず、混合物中の水の量が増えるだけであることを見つけた。さらに、沸騰している水に熱を加えても、同様に水/蒸気混合物の温度は上昇せず、蒸気の量が増えるだけであることも見出した。これらの観測をもとに、このとき加えた熱は氷および沸騰水と結合し、このために表面に出てこないとの結論([[潜熱|潜熱概念]])に達した。
 
熱の実体について、ブラック自身は実証主義を貫き、「熱は何であるのか」についての態度決定は避けたとされている。しかし、彼の一連の定量的概念は、流体としての熱物質(「熱素」または「火の粒子」)という観点にはよく適合するのに対して、熱運動論との関連付けは、当時の物理学の現状では不可能であった。客観的に見て、ブラックの理論がその後の熱物質説(熱素説)を助長した。ブラックの当時学生であったウィリアム・クレグホンやウィリアム・アーヴィンなどが、その後[[カロリック説|熱素説]]を展開することになった<ref name="yama1"> 山本義隆『熱学思想の史的展開(熱とエントロピー)1、ちくま書房、2008年、pp.314-337</ref>
<ref name="yama1"> 山本義隆『熱学思想の史的展開(熱とエントロピー)1、ちくま書房、2008年、pp.314-337</ref>
 
== 脚注 ==