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Chanrh-mizo (会話 | 投稿記録)
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[[2002年]]、古巣のハンファに復帰した。しかし、復帰後は巨人時代の調整不足の影響でまるで巨人移籍前とは別人のような無力なピッチングで成績が落ち、[[2004年]]は韓国プロ野球でデビュー以来、初めてシーズン0勝に終わった。その後は変化球を多用する投球術を磨き、2007年には韓国通算150勝を達成。2008年は6勝どまりで、前年より投球内容は悪化して、チームもプレーオフ進出が3年連続で途切れた。
 
2009年は力の衰えもあって開幕から1勝もできず6連敗で、チームも最下位に低迷していたこともあり、再建のためシーズン途中の7月にプレイングコーチに就任した。その後1軍登板の機会はなく、9月に2009年限りでの現役引退を表明し、最後につけていた背番号23はハンファの永久欠番となることも決まった。9月12日、ハンファの本拠地・大田での[[ネクセン・ヒーローズ|ヒーローズ]]戦で引退セレモニーが行われ、背番号23をたたえるモニュメントも球場内に設置された。2010年からハンファの投手コーチに就任した。2014年限りでハンファを退団し、2015年より韓国のスポーツ専門チャンネルで野球解説者として活動する。[[2017 アジア プロ野球チャンピオンシップ]]、[[2018年アジア競技大会]]、[[2019 WBSCプレミア12]]では[[野球大韓民国代表|韓国代表]]の投手コーチを務める。
 
通算勝利数161勝(2009年シーズン終了時)は韓国史上2位で、韓国プロ野球では二人しかいない個人通算150勝投手の一人である。(もう一人は元同僚の[[宋津宇]])