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イタリアは1990年までに先進国の一つになり<ref name="economist.com">[http://www.economist.com/media/pdf/QUALITY_OF_LIFE.pdf The Economist Intelligence Unit’s quality-of-life index, Economist, 2005]</ref><ref>{{cite web|url=http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2013/01/weodata/weorept.aspx?sy=2008&ey=2013&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=512%2C941%2C914%2C446%2C612%2C666%2C614%2C668%2C311%2C672%2C213%2C946%2C911%2C137%2C193%2C962%2C122%2C674%2C912%2C676%2C313%2C548%2C419%2C556%2C513%2C678%2C316%2C181%2C913%2C682%2C124%2C684%2C339%2C273%2C638%2C921%2C514%2C948%2C218%2C943%2C963%2C686%2C616%2C688%2C223%2C518%2C516%2C728%2C918%2C558%2C748%2C138%2C618%2C196%2C522%2C278%2C622%2C692%2C156%2C694%2C624%2C142%2C626%2C449%2C628%2C564%2C228%2C283%2C924%2C853%2C233%2C288%2C632%2C293%2C636%2C566%2C634%2C964%2C238%2C182%2C662%2C453%2C960%2C968%2C423%2C922%2C935%2C714%2C128%2C862%2C611%2C716%2C321%2C456%2C243%2C722%2C248%2C942%2C469%2C718%2C253%2C724%2C642%2C576%2C643%2C936%2C939%2C961%2C644%2C813%2C819%2C199%2C172%2C184%2C132%2C524%2C646%2C361%2C648%2C362%2C915%2C364%2C134%2C732%2C652%2C366%2C174%2C734%2C328%2C144%2C258%2C146%2C656%2C463%2C654%2C528%2C336%2C923%2C263%2C738%2C268%2C578%2C532%2C537%2C944%2C742%2C176%2C866%2C534%2C369%2C536%2C744%2C429%2C186%2C433%2C925%2C178%2C746%2C436%2C926%2C136%2C466%2C343%2C112%2C158%2C111%2C439%2C298%2C916%2C927%2C664%2C846%2C826%2C299%2C542%2C582%2C443%2C474%2C917%2C754%2C544%2C698&s=PPPGDP&grp=0&a=&pr.x=9&pr.y=12 |title=Report for Selected Countries and Subjects |publisher=Imf.org |date=16 April 2013 |accessdate=17 April 2013}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/fields/2056.html |title=CIA World Factbook, Budget |publisher=Cia.gov |accessdate=26 January 2011}}</ref>、世界第5位の経済大国になった<ref>{{cite web|title=The world's largest economies: 1990 vs. 2011|url=http://www.businessinsider.com/the-worlds-largest-economies-1990-vs-2011-2012-3|publisher=[[Business Insider]]|accessdate=30 November 2014}}</ref>。イタリアは世界的な軍事・文化・外交において大きな役割を果たし<ref>"Italy plays a prominent role in European and global military, cultural and diplomatic affairs. The country's European political, social and economic influence make it a major regional power." See ''Italy: Justice System and National Police Handbook'', Vol. 1 (Washington, D.C.: International Business Publications, 2009), p. 9.</ref>、主要な[[地域大国]]であると考えられている<ref>{{cite book|last1=Verbeek|first1=Bertjan|last2=Giacomello|first2=Giampiero|title=Italy's foreign policy in the twenty-first century : the new assertiveness of an aspiring middle power|date=2011|publisher=Lexington Books|location=Lanham, Md.|isbn=9780739148686|accessdate=30 November 2014}}</ref><ref>{{cite book|last1=Beretta|first1=Silvio|last2=Berkofsky|first2=Axel|last3=Rugge|first3=Fabio|title=Italy and Japan - how similar are they? : a comparative analysis of politics, economics, and international relations|date=2012|publisher=Springer|location=Berlin|isbn=8847025672|pages=329–346|accessdate=30 November 2014}}</ref><ref>"[[:en:Operation Alba|Operation Alba]] may be considered one of the most important instances in which Italy has acted as a regional power, taking the lead in executing a technically and politically coherent and determined strategy." See Federiga Bindi, ''Italy and the European Union'' (Washington, D.C.: Brookings Institution Press, 2011), p. 171.</ref>。[[欧州連合]]の原加盟国及び指導国であり、[[国際連合|国連]]・[[北大西洋条約機構|NATO]]・[[経済協力開発機構|OECD]]・[[欧州安全保障協力機構|OSCE]]・[[開発援助委員会|DAC]]・[[世界貿易機関|WTO]]、[[w:G4 (EU)|G4]]・[[w:G6 (EU)|G6]]・[[G7]]・[[主要国首脳会議|G8]]・[[G10]]・[[G20]]、[[地中海連合]]・[[ラテン連合]]・[[欧州評議会]]・[[w:Central European Initiative|中欧イニシアティブ]]・[[アジア欧州会合]]・[[コンセンサス連合]]を含む多くの国際機関の加盟国である。しかし、リソルジメントを主導したフランスに対し巨額の[[対外債務]]を抱えており、国際的地位もそれなりである。[[ジョヴァンニ・ファルコーネ]]がマフィアに殺害されてほどなく発足した第1次[[ジュリアーノ・アマート|アマート]]内閣のとき、あのEniとモンテディソンが汚職の舞台となって、国会議員だけでも144人が捜査対象となり、クラクシ元首相には70も容疑がかけられた([[タンジェントポリ]])<ref>『イタリア史』 532-534頁</ref>。そんなどさくさにまぎれて公共事業体の[[民営化]]を進めてきたが、1993年の新金融業法で兼営銀行が復活した。1993年は、3年前の地方自治法の改正を受け、地方選挙制度が大きく改正されて[[首相公選制]]が導入された。[[ランベルト・ディーニ]]内閣が総辞職してから、イタリアは長期的な政権空白を経験した。1996年5月、元IRI総裁の[[ロマーノ・プローディ]]連立内閣が発足し、瓦解までに通貨統合だけは成し遂げた<ref>『イタリア史』 537-538頁</ref>。そこで[[ロング・ターム・キャピタル・マネジメント]]が、(イタリア銀行などから)イタリア国債を買って、それを担保にレポ借入でリラを調達し[[金利スワップ]]で運用した<ref>K. Thomas Liaw, ''The Business of Investment Banking: A Comprehensive Overview'', John Wiley & Sons, 2011, p.222. "LTCM reportedly bought Italian government bonds and financed the purchase in the lira repurchase market, resulting in LTCM's receiving a fixed rate from the bonds and paying a floating rate in the financing. LTCM then entered into a lira interest rate swap to receive a floating rate and pay a fixed rate."</ref>。
 
1999年にアメリカのマーティン・フランクルがローマへ高飛びし、[[ハンブルク]]へ逃れてゆき、やがて2001年初頭に逮捕された。彼を支援したコラジョヴァンニも同年[[クリーブランド]]で逮捕された。2002年6月に第2次[[シルヴィオ・ベルルスコーニ|ベルルスコーニ]]内閣が[[北部同盟 (イタリア)|北部同盟]]と[[国民同盟 (イタリア)|国民同盟]]で混成された<ref name=it540>『イタリア史』 540頁</ref>。翌月、主催国としてジェノヴァでサミットを開催したが、[[反グローバリゼーション]]を主張する激しい抗議行動にみまわれ、デモ参加者を射殺するまでに至った<ref name=it540 />。ベルルスコーニ内閣は議会の多数にものをいわせ、労働・移民・司法・メディア等の分野で強引な政策を実施した<ref name=it540 />。首相は[[海底ケーブル]]の敷設ブームにあってメディア利権に固執した。政府が議員を買収する悪習は19世紀末から続いている(トラスフォルミズモ)<ref>『イタリア史』 429頁</ref>。地方自治を定めた憲法第5部も改正してしまい、「緩やかな連邦制」を導入するあたり外資の進出を促しており、民族による統一をイタリアは達成できていない。2003年、レナート・ダルドッツィ([[:it:Renato Dardozzi|Renato Dardozzi]])が死亡した<ref group=注釈>ダルドッツィはIRIが1933年に設立したトリノ電信会社(STET)でキャリアを積んだジェットセット([[:en:Jet set|Jet set]])。ピエモンテ水力発電会社(SIP, 現[[テレコム・イタリア]])の重役となるはずだったが、1974年バチカン国務省の要請により宗教事業協会の財政再建に抜擢された。</ref>。彼は1974年から1990年代後半にかけて[[宗教事業協会]]の資産管理に携わったが、その極秘資料と、それを公表せよとの遺言をのこした。2004年、イタリアの破毀院がバチカン・ラジオによる電磁波障害をめぐる裁判において、国内訴因は教皇庁が被疑者であっても、正当な捜査が保障されるとの認識を示した<ref group=注釈>1987年、同破毀院は宗教事業協会総裁らの逮捕をめぐる事件で、イタリアの司法権がおよばないと判断していた。</ref>。2005年、エトナ火山が噴火し、国内総生産伸び率がゼロとなった。2006年、バチカン金融当局長のレーネ([[:en:René Brülhart|René Brülhart]])が情報を提供、[[シーメンス]]が教皇庁へ贈賄していたことが分かった<ref>[[フィナンシャル・タイムズ]] "The scandal at the Vatican bank ", December 6, 2013 by: Rachel Sanderson</ref>。2007年、[[REIT]]制度化(SIIQ)。イタリアは[[世界金融危機]]で[[PIIGS]]となった。11月[[ベルナルド・プロヴェンツァーノ]]が逮捕された。2008年12月17日、マフィア99人を一斉検挙した。2009年、5月に『バチカン株式会社(''Vaticano S. p. A.'')』が出版された。これはダルドッツィの資料に基く暴露本であり、[[ポール・マルチンクス]]の後継であるデ・ボニス([[:it:Donato De Bonis|Donato De Bonis]])などの金融スキャンダルを書いている。同年6月には[[キアッソ米国債事件]]が起こった。2010年2月28日[[ガーディアン]]が、『バチカン株式会社』の売れ行きと内容に無反応なイタリアのメディアをベルルスコーニの手先であるかと挑発した。2010年3月17日、ミラノ市が[[デリバティブ]]詐欺容疑で、[[ドイツ銀行]]、[[JPモルガン・チェース]]、[[UBS]]、デプファ銀行([[:de:Depfa Bank|Depfa Bank]])を起訴した<ref>DAILY NEWS, "[http://www.nydailynews.com/news/money/deutsche-bank-jpmorgan-ubs-charged-fraud-linked-sale-derivatives-article-1.164200 Deutsche Bank, JPMorgan, UBS charged with fraud linked to the sale of derivatives]", March 17, 2010. Retrieved February 25, 2018.</ref>。ミラノ市が2005年に実施した17億ユーロ相当の売りオペに関係したスワップ取引の金利調整で、被告4行が隠れ手数料をせしめたという。隠れ手数料は、JPモルガン・チェースが4500万ユーロ、ドイツ銀行が2500万ユーロ、デプファ銀行が2100万1ユーロ、UBSが10001万ユーロ。2011年、[[福島第一原子力発電所事故]]をうけて原子力反対運動が顕著となり、同年6月に行われた国民投票の結果、再度国内原子力開発を断念することになった<ref group=注釈>一度目の断念は[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]後の国民投票によるが、2003年の大停電により早急な電源開発促進政策がとられていた。</ref>。2012年、[[イタリア北部地震]]。同年末、政府の財政収支均衡原則を憲法に盛り込んだ。[[2013年イタリア総選挙]]は外為相場を揺さぶった。2014年、[[欧州中央銀行]]によるストレステストで、イタリアの銀行14行のうち9行が不合格となった。2015年、憲法裁判所判事を務めてきた[[セルジョ・マッタレッラ]]が2月に大統領となり、また5月に[[2015年FIFA汚職事件|FIFA汚職事件]]がおこり、7月9日ナポリでベルルスコーニへ贈賄罪で禁錮3年の判決がくだった。2016年という一年間に、[[フェルディナンド2世・デ・メディチ]]が創業した[[モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行]]は株価を88%も下げた。2017年2月15日、議会が同行以下、経営難の金融機関に最大200億ユーロを注入する法案を可決した。6月1日、[[欧州委員会]]も同行への支援を政府と合意した。前後して3月3日、[[ロイヤル・ダッチ・シェル]]とEniが、[[ナイジェリア]]の油田権益を巡る贈賄罪で起訴されたことがわかった。
 
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