「号泣 (お笑いコンビ)」の版間の差分

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; レギュラー以外
*[[爆笑オンエアバトル]]([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]])戦績20勝12敗 最高507KB ゴールドバトラー認定
***第1回チャンピオン大会 予選10位敗退
**出場回数32回は番組最多記録。漫才で30回、コントで2回挑戦したがコントでのオンエアは通常回で一度も無く全てのオンエアが漫才であった。<ref>第3回チャンピオン大会セミファイナルAブロックでは漫才ではなくコントを披露しており、この回が唯一のコントでのオンエアとなる(但し、この回のチャンピオン大会からは勝敗に関係なく全組がオンエアされる)。</ref>
***第2回チャンピオン大会 本選10位
**敗戦が12回<ref>[[きぐるみピエロ]]、[[火災報知器 (お笑いコンビ)|火災報知器]]に次いで6位。</ref>と多いがそのうち4回は300KB台、2回は400KB台<ref>421KB、425KBで敗退。</ref>で全て6位敗退である。なお300KB台でのオンエアも7回経験している。
***第3回チャンピオン大会 決勝11位
**出場回数32回は番組最多記録。漫才で30回、コントで2回挑戦したがコントでのオンエアは通常回で一度も無く全てのオンエアが漫才であった<ref>第3回チャンピオン大会セミファイナルAブロックでは漫才ではなくコントを披露しており、この回が唯一のコントでのオンエアとなる(但し、この回のチャンピオン大会からは勝敗に関係なく全組がオンエアされる)</ref>
**300KB台を多く記録しており、後述の連敗も重なった影響から敗戦が12回と多かった<ref>[[きぐるみピエロ]]、[[火災報知器 (お笑いコンビ)|火災報知器]]に次いで6位の敗戦回数。</ref>。うち7回を次点で敗退している反面<ref>400KB台で2回(425・421KB)、300KB台で5回(337・345・345・321・357KB)。</ref>、7回の300KB台オンエアを経験している<ref>(362・345・385・329・385・381・361KB)。</ref>。
**1999年度から2001年度までは通常回において13勝2敗と好成績を残していたが、2002年2月2日放送回から2003年1月11日放送回までは一転して不調に陥り5連敗を記録<ref>因みにこの間の成績は6位を4度、7位を1度記録するなど、いずれもあと1歩の所でオンエアを逃していた。</ref>してしまい、約1年半オンエアから遠ざかっていた。2003年5月30日放送回にてようやくリベンジ(381KB・4位)を果たしたものの、以降は連勝と連敗を繰り返すなど、苦戦する事が多くなった。2002年2月2日放送回から最後の出場となった2006年1月21日放送回までの通算成績は7勝10敗と負け数が勝ち数を上回っている<ref name="OAB"/>。
**上述にもあるようにチャンピオン大会ではかなり苦戦しており、通常回においては1度も経験した事が無かった「100KB台」と「最下位」をいずれも経験している(特に100KB台に関しては出場した全ての回で記録しており、最下位も第2回を除いた全ての回で記録している。因みに第2回においても本戦では11組中10位であり、順位をあと1つ落としていれば最下位であった。なお、その時最下位だった[[ドランクドラゴン]]が149KBを記録したのに対し、号泣は153KBを記録してボール1個差であった)<ref name="OAB">[http://www5d.biglobe.ne.jp/~anken/owarai/battle/geinin/battbox_ka2_gokyu.html オンバトサポーター - 号泣]</ref>。
**また、審査員が200人制(満点も1090KBに変更)へとルールが改正された第4回チャンピオン大会以降は、出場への最低条件(年間4勝)はクリアするもののKB数が足りなかったために惜しくも出場を逃してしまったり<ref>2001年度は年間合計KBランキングが23位、2003年度は惜しくも21位([[三拍子 (お笑いコンビ)|三拍子]]と並んで合計1728KBを記録。なお、20位の[[長井秀和]]は1732KBを記録しており、ボール1個差であった)を記録。</ref>、年間3勝目を挙げた後に2連敗を記録した事もあるなど、惜しくもあと1歩の所で出場を逃す事が多く、最終的には1度も出場できなかった。なお、25回以上出場している芸人の中で第4回以降のチャンピオン大会に出場経験が無いのは号泣、[[シャカ (お笑い)|シャカ]]、[[坂道コロンブス]]の3組のみ<ref>なお、シャカに関しては第3回大会以前も1度も出場経験が無い。</ref>となっている。
**番組では2代目司会者である[[森下和哉]]アナウンサーとの関係が深い。初共演となる2000年7月16日放送回の収録では赤岡が森下アナに「番組最後の「あなたたちです」を僕にやらせて欲しい」とお願いしたのが始まりであり、同年10月1日放送回では「オーバー500で1位を取ったら森下アナの「あなたたちです」を赤岡が行う」という公約を掲げたが、結果は437KBで3位だった。この時森下アナは嬉しそうな表情で結果を発表していた。続く2001年1月28日放送回でもその公約に挑戦したが、473KBで3位に終わり、更に達成出来なかった場合は「次回の東京収録で前説を行う」という公約であり、その東京収録で前説を行った。この様子は同年3月4日放送の番外編でオンエアされた。
**1999年度から2001年度までは通常回において13勝2敗と好成績を残していたが、2002年2月2日放送回から2003年1月11日放送回までは一転して不調に陥り5連敗を記録<ref>因みにこの間の成績は6位を4度、7位を1度記録するなど、いずれもあと1歩の所でオンエアを逃していた。</ref>してしまい、約1年半オンエアから遠ざかっていた。2003年5月30日放送回にてようやくリベンジ(381KB・4位)を果たしたものの、以降は連勝と連敗を繰り返すなど、苦戦する事が多くなった。2002年2月2日放送回から最後の出場となった2006年1月21日放送回までの通算成績は7勝10敗と負け数が勝ち数を上回っている<ref name="OAB"/>。
**番組では2代目司会者である[[森下和哉]]アナウンサーとの関係が深い。初共演となる2000年7月16日放送回の収録では赤岡が森下アナに「番組最後の「あなたたちです」を僕にやらせて欲しい」とお願いしたのが始まりであり、同年10月1日放送回では「オーバー500で1位を取ったら森下アナの「あなたたちです」を赤岡が行う」という公約を掲げたが、結果は437KBで3位だった。この時森下アナは嬉しそうな表情で結果を発表していた。続く2001年1月28日放送回でもその公約に挑戦したが、473KBで3位に終わり、更に達成出来なかった場合は「次回の東京収録で前説を行う」という公約であり、その東京収録で前説を行った。この様子は同年3月4日放送の番外編でオンエアされた。同年7月28日放送回の勝者コメントでは森下アナに「結婚しているのに番組では薬指に指輪を付けていない」とコメントし、森下アナは「帰って妻と相談します」と皮肉混じりにコメントした。また同年10月13日放送回の計量前のシーンでは島田が森下アナの左手の薬指を確認していた。因みに森下アナ卒業後に彼らは番組でオーバー500とトップ通過を果たしているが、同じ回ではない。<ref>2003年9月5日放送回では501KBだったが、2位通過であり(1位は525KBを記録した[[パンクブーブー]])、2005年8月27日放送回ではトップ通過を果たしたが497KBだった為、もう一個入っていればオーバー500だった。</ref>
***第1回チャンピオン大会 予選10位敗退
***第2回チャンピオン大会 本選10位
***第3回チャンピオン大会 決勝11位
*[[エンタの神様]](日本テレビ)キャッチコピーは「ホリプロいちおし笑いのホープ」
*[[クイズ赤恥青恥]]([[テレビ東京]])テレビ初出演、デビュー間もない頃にクイズの解答者として1回のみ登場