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使用説があるもの、着工しても完成しなかったものも含む。
 
※印は竹筋であると確認されたもの<!-- 論文や新聞報道等の信頼できる出典があるもののみに付与 -->
 
=== 現用されているもの ===
* [[厳美渓]]長者滝橋 - [[岩手県]][[一関市]]。道路橋。[[1939年]]の建設時に竹筋使用の証言が残る。1987年の強度調査で竹片が検出されるも、確定までは至らず。付近に竹筋説を示す看板が設置されている。1999年に[[登録有形文化財]]に登録<ref>{{文化遺産オンライン|192399|長者滝橋}}</ref><ref name="紅林_2005">{{cite journal|和書|title=わが国における第二次世界大戦以前のコンクリートアーチ道路橋の変遷|author1=紅林章央|author2=前田研一|author3=伊東孝|journal=土木史研究論文集|issue=24|pages=75-94|year=2005|publisher=土木学会|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs2004/24/0/24_0_75/_article/-char/ja }}</ref>。
* [[松浦鉄道西九州線]]([[福井川橋梁]])目撃証言がある。2006年の調査では確定に至らなかった。<ref>[https://brtc.at.webry.info/200602/article_7.html 国立米子工業高等専門学校建築学科 玉井研究室ブログ - 福井川橋梁の調査(3日目)]</ref>
* [[岩国徴古館]] - [[山口県]][[岩国市]]。1945年竣工、柱に使用<ref>{{cite web| url= https://www.axscom.co.jp/satou-takeo/gallery/no00000/ |title=岩国徴古館 |work=佐藤武夫ギャラリー | publisher=佐藤総合計画 |accessdate=2019-02-13}}</ref>。
* [[厳美渓]]長者滝橋 - 1939年の建設時に竹筋使用の証言が残る。1987年の強度調査で竹片が検出されるも、確定までは至らず。付近に竹筋説を示す看板が設置されている。1999年より登録有形文化財。
* [[福井川橋梁]] - [[長崎県]][[佐世保市]]。[[松浦鉄道西九州線]]([[福井川の鉄道梁]])目撃証言がある。[[2006年]]の調査では確定に至らなかった<ref>[{{cite web| url= https://brtc.at.webry.info/200602/article_7.html |title=福井川橋梁の調査(3日目) | publisher=国立米子工業高等専門学校建築学科  玉井研究室ブログ |date=206-02-08 福井川橋梁の調査(3日目)]|accessdate=2019-02-13}}</ref>
* 旧米倉庫 - [[大分県]][[玖珠郡]][[玖珠町]]。1939年12月に上棟。2019年時点では金物店として使用されている。一部解体時に竹筋の目撃証言があり、探知機による調査でもごく一部を除き金属反応が出ていないことから、竹筋コンクリート造にほぼ間違いないとされる<ref>{{cite news | url=https://www.nishinippon.co.jp/nnp/oita/article/484066/ | title=珍しい「竹筋コンクリート造」か? 建築士会「旧米倉庫」を近代化遺産として活用 | newspaper=[[西日本新聞]] | date=2019-02-03}}</ref><ref>{{cite news | url=https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2019/02/13/JD0057778158 | title=玖珠に竹筋コンクリ、鉄筋の代わりに竹 旧米倉庫 | newspaper=[[大分合同新聞]] | date=2019-02-13}}</ref>。
 
=== 現存するもの ===
* [[大間線]]橋梁 - [[青森県]][[むつ市]]等。[[未成線]]の鉄道橋。
* 対港橋 - [[富山県]][[高岡市]]。道路橋。[[1943年]]架設<ref name="紅林_2005" />。
 
* 前浜掩体群 - [[高知県]][[南国市]]。[[高知空港]]付近に残る旧[[高知海軍航空隊]]の[[掩体壕]]で41基のうち7基が現存。解体された掩体壕について竹筋の目撃証言があるが、様々な構造のものがあったとされ、現存するものが竹筋コンクリートであるかは不明<ref>{{cite news|url=http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2007/0725nangoku/nangoku/ |title=田園に残る“白菊の壕” |newspaper=MSN産経フォト|date=2007-07-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130709161744/http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2007/0725nangoku/nangoku/|archivedate=2013-07-09}}</ref><ref>{{cite web| url= https://www.city.nankoku.lg.jp/life/life_dtl.php?hdnKey=1569 |title=前浜掩体群(市史跡) | publisher=南国市 |date=2017-04-06 |accessdate=2019-02-13}}</ref>。
* [[宮原線]](1984年に[[廃線]]、線内の[[アーチ橋]]に使用。[[2004年]]より[[登録有形文化財]])
* [[宮原線]]橋梁 - [[熊本県]][[阿蘇郡]][[小国町 (熊本県)|小国町]]。[[1984年]]に[[廃線]]になった宮原線の鉄道橋。線内に現存する7本の[[アーチ橋]]が竹筋コンクリートとされ、幸野川橋梁については建設時に竹筋を目撃したとの証言がある。非破壊検査やコンクリートコア調査では竹筋は確認されていないものの、一部の橋梁から採取したコア中に竹片が所在することが目視確認されている<ref>{{cite journal|和書|url= https://www.jstage.jst.go.jp/article/coj/47/6/47_6_6_19/_article/-char/ja/ |title= 現存する竹筋コンクリート造を求めて -熊本県小国町のコンクリートアーチ橋群の調査より-|author1= 玉井孝幸|author2= 嵩英雄|journal= コンクリート工学|publisher= 日本コンクリート工学会|vol= 47|issue= 6|pages= 6_19-6_27|year= 2009}}</ref>。[[2004年]]に登録有形文化財に登録<ref>{{文化遺産オンライン|150535|旧国鉄宮原線幸野川橋梁}}他</ref>。
* [[岩国徴古館]]※ - 1945年竣工、柱に使用。
* 橋満橋 - [[宮崎県]][[小林市]]。[[1943年]]架設。[[三之宮峡]]に架かる道路橋<ref name="紅林_2005" /><ref>{{cite web| url= http://cms.city.kobayashi.lg.jp/display.php?cont=131220103732 |title=橋満橋(はしみつばし) | publisher=小林市 |accessdate=2019-02-13}}</ref>。
 
* 旧日本軍航空基地の[[掩体壕]] - 日本各地の[[飛行場]]や[[空港]]周辺に現存するが、[[高知空港]]のもの等が竹筋構造物であるとされている<ref>[http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2007/0725nangoku/nangoku/ 田園に残る“白菊の壕”]、MSN産経フォト、2007年7月25日付</ref>。
 
=== 現存しないもの ===
* [[原ノ町駅]]※ - [[福島県]][[南相馬市]]。ひさしの支柱に用いられた。現在でも一部が駅舎内に展示されている。
* 旧大正橋※ - [[愛知県]][[名古屋市]]旧大正橋※ - 橋脚基部。現在の大正橋近辺に一部が残存<ref>{{cite web| url= https://s.webry.info/sp/brtc.at.webry.info/201104/article_3.html |title=名古屋の竹筋 | publisher=国立米子工業高等専門学校建築学科 玉井研究室 |date=2011-04-14 |accessdate=2019-02-13}}</ref>。
* 宇和島市立和霊小学校旧水泳[[プール]]※ - [[愛媛県]][[宇和島市]]。[[プール]]の底版部に竹筋を使用。[[昭和南海地震]]にも無傷で耐えたが、平成192007年に解体撤去。コンクリート片がグラウンドに保管されている<ref>[http://www16.tok2.com/home/uwajimakun/saikin/07-03-00/07-03-warei01.html 平成19年3月・和霊小学校のプールが消えた]</ref><ref>{{cite news|url=http://www.ehime-np.co.jp/rensai/hotnews/ren111201206140635.html|title=転車台、扇形機関庫… すごいぞ!地域の宝 宇和島 近代化遺産の説明教室 和霊小児童70人学ぶ|newspaper=愛媛新聞|date=2012-06-14}}</ref>。
* {{要出典範囲|旧[[山口サビエル記念聖堂]]初代建築物 - 山口県[[山口市]]。[[1952年]]献堂。[[朝鮮戦争]]の資材高騰時に着工したため、やむなく竹筋製となる。|date=2019年2月}}
 
=== 推定されていたが竹筋でなかったもの  ===
* [[戸井線]]蓬内橋(未成線)- 2013年3月19日に解体された結果、無筋橋であったことが判明した<ref>{{Cite web|url=http://ehako.com/news/news2013a/5870_index_msg.shtml|title=旧戸井線遺構「蓬内橋」、無筋コンクリ製だった|publisher=函館新聞社|date=2013-3-27|accessdate=2014-11-15}}</ref><ref>[http://www.workvisions.co.jp/weblog/2013/04/11/「戦時設計」という言葉 「戦時設計」という言葉]</ref>
 
== 分析方法 ==