「ヘルベルト・フォン・カラヤン」の版間の差分

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* 1983年に、日本人初のベルリン・フィルの[[コンサートマスター]]として[[安永徹]]を選んだ。コンサートマスター試験の曲は、[[リヒャルト・シュトラウス]]の[[交響詩]]『[[ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)|ツァラトゥストラはかく語りき]]』などだった。
* 若手指揮者の育成にも積極的で、[[小澤征爾]]などを輩出した。
* イギリスのロックバンド、[[レッド・ツェッペリン]]の『[[天国への階段]]』を聴き「完璧」と絶賛していた<ref>{{Cite web |url =https://web.archive.org/web/20190214082737/https://www.debaser.it/led-zeppelin/stairway-to-heaven/recensione |title =Led Zeppelin
Stairway To Heaven |publisher =www.debaser.it |date = |accessdate =2019-02-14 }}</ref>。
* [[1975年]]頃、日本人のみならず東洋人として初の[[ウィーン国立歌劇場]]の団員として採用された[[アンネット・一恵・ストゥルナート|高島一恵]]は東洋人団員の前例が無いことから、団員やスタッフから酷いイジメや偏見に遭って悩んでいたが、当時、指揮者の世界最高権威であったカラヤンが高島を評価したことで、高島へのイジメや偏見がピタリと止んだ。このことから、カラヤンは高島にとってイジメや偏見から救ってくれた恩人的な存在であるといえる。