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風紀の乱れ、青少年への悪影響といった不当な批判が増大していき、母国イギリスでは1965年のMBE勲章の叙勲時にその批判が顕在化した。ビートルズへの叙勲に抗議する形で勲章を返却する者も現れ<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.183</ref>、この時は863個の勲章が返却された<ref>ビートルズの復活 p.148</ref>。同[[1965年]]、[[イスラエル]]はビートルズの公演を拒否した<ref group="注釈">ただし、[[2008年]]になってイスラエルは謝罪の意を公式に表明した。これを受けてポールは同年9月に同国での公演をおこなっている。詳細は[http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2343561/2572670 イスラエル政府、ビートルズに1965年の公演中止を謝罪(AFP・2011年7月26日閲覧)]を参照。</ref>。
 
さらにアメリカではジョンのキリスト発言に対する批判、日本では来日前に[[正力松太郎]]の「ベートルスとかペートルスとかいう連中」発言や、[[細川隆元]]と[[小汀利得]]による「薄汚い西洋の連中に貴重外貨を使うな」発言<ref>http://www.rainbow-network.com/works/houdan/20050901.htm</ref>など、不当な批判や抑圧があった。
 
また[[ソビエト連邦]]や[[東ドイツ]]を中心とした[[共産主義]]国家は、ロック音楽を「[[資本主義]]による精神汚染」とみなし、ソ連ではそのレコード発売には政府からの許可が下りなかった<ref group="注釈">ただし、実際には、西側諸国からの輸入盤や、地下で翻訳された[[ロシア語]]版の[[カセットテープ]]などが販売され、当時も多くの若者に親しまれていた。なお、[[2003年]]にポールが行った[[ロシア]]の首都の[[モスクワ]]の[[赤の広場]]でのコンサート「ライヴ・イン・レッド・スクウェア」では、その編集映像に[[セルゲイ・イワノフ]]国防相(1953年生まれ)のインタビューが収録されたが、その中でイワノフは「10代の頃からのビートルズファン」と自己紹介し「[[バック・イン・ザ・U.S.S.R.]]」も演奏されたコンサートにも[[ウラジーミル・プーチン]]大統領と伴に来場した。詳細は[http://wmg.jp/artist/paulmccartney/WPBR000090484.html 映像ソフト「ライヴ・イン・レッド・スクウェア」]及び[http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/100103b.html クレムリンを揺るがせたビートルズ]を参照。</ref>。また、当時[[中華人民共和国]]や[[大韓民国]]などアジアの[[一党独裁]]国家、[[発展途上国]]ではビートルズは話題にすらならず、コンサートで立寄ることどころかレコードが売られたことさえなかった。