「バレンタインデー」の版間の差分

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[[日本]]では、[[1958年]]ごろから流行した<ref>広辞苑 第五版 p.2197 【バレンタインデー】</ref>。ただし、その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。戦前に来日した[[外国人]]によって一部行われ、[[第二次世界大戦]]後まもなく、[[流通]][[業界]]や[[製菓]][[業界]]によって[[販売促進]]のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、[[1970年代]]後半であった。「[[女性]]が[[男性]]に対して、親愛の情を込めて[[チョコレート]]を贈与する」という「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこのころであった。なお、バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、一説に[[大田区]]の製菓会社[[メリーチョコレートカムパニー]]の[[原邦生]]であるとされる<ref>八幡成人 [https://teamhacchan.wordpress.com/2015/02/14/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BC/ ヴァレンタイン・デー] チーム八ちゃん </ref>。<br />しかし、原邦生が行ったとされるイベントは昭和33年であるのに対し、神戸のモロゾフ製菓が20年以上前の昭和11年2月12日に外国人向け英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』に、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を既に掲載しており、モロゾフ製菓がバレンタインチョコを最初に考案した仕掛け人であるとされる説が最有力である。<br />そして[[日本チョコレート・ココア協会]]によると、1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られており、その理由は、神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからとの事である。
 
現代日本社会におけるバレンタインデー文化の、起源、普及過程、社会的機能、歴史的意義などについては、[[民俗学]]、[[社会学]]、[[宗教学]]、[[歴史学]]([[文化史]]、[[商業史]])の各分野から研究されるべき事項であるが、バレンタインデーに関するまとった研究は存在しないyo
 
==== 特徴 ====