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'''ベルリン4ヶ国協定'''(もしくは'''ベルリン合意'''、'''ベルリンにおける4ヶ国同意''')は、[[1971年]][[9月3日]]に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]4ヶ国の大使を代表に同意された協定である。4ヶ国の外相すなわち、[[イギリス]]の[[アレック・ダグラス=ヒューム]]、[[ソビエト連邦]]の[[アンドレイ・グロムイコ]]、[[フランス]]の[[モーリス・シューマン]]そして[[アメリカ合衆国]]の[[ウィリアム・P・ロジャーズ]]によって署名され、[[1972年]][[6月3日]]に[[ベルリン]]で行われた式において効力をもった<ref>"Big 4 Sign Berlin Accord'', ''Stars and Stripes'', June 4, 1972, p1''</ref>。この合意は条約ではないため、正式な批准は不必要であった。
 
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これらの条約は国際的な一連の合意として輝かしいものであったが、同時に[[冷戦]]によるヨーロッパ分裂を作り出す原因になったと考える人もいた。一方、一連の動きを冷戦の終結への道と見る人もいた。M.E. Sarotteは[[2011年]]にこう記している「...様々な不安にもかかわらず、両国はデタント会談の結果たくさんの取り決めや契約を結ぶことに成功した。」<ref>M.E. Sarotte; "Dealing with the Devil: East Germany, Detente & Ostpolitik, 1969-73"; The University of North Carolina Press; Chapel Hill, North Carolina. </ref>
 
== 関連記事 ==
* [[ソビエト・西ドイツ武力不行使条約]]
* [[東西ドイツ基本条約]]
* [[ポツダム協定]]
* [[ドイツ最終規定条約]]
* [[ポツダム会談]]
* [[外相理事会]]
* {{仮リンク|連合国管理評議会|en|Allied_Control_Council}}
* {{仮リンク|シュタインシュトゥッケン|en|Steinstücken}}
 
== 脚注 ==
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=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 関連記事 ==
* [[ソビエト・西ドイツ武力不行使条約]]
* [[東西ドイツ基本条約]]
* [[ポツダム協定]]
* [[ドイツ最終規定条約]]
* [[ポツダム会談]]
* [[外相理事会]]
* {{仮リンク|連合国管理評議会|en|Allied_Control_Council}}
* {{仮リンク|シュタインシュトゥッケン|en|Steinstücken}}
 
== 外部リンク ==