「1974年のメジャーリーグベースボール」の版間の差分

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*東地区は、パイレーツが前年9月に団子状態だった東地区首位に立ったものの直後のメッツ戦で4連敗して結局3位に終わったが、この年も7月まで最下位に低迷していたけれども夏場から急浮上し、残り2試合でカージナルスと同率首位となり、カージナルスがエクスポズ戦でボブ・ギブソンを登板させて逆転負けし86勝で終わると、最終日のカブス戦の9回裏に振り逃げで同点に追いつき、10回裏サンギーエンのサヨナラ打で88勝となり、1970年から4度目の東地区優勝を決めた。西地区は、ドジャースが12年ぶり100勝の大台に乗せて初の西地区優勝となった。[[スティーブ・ガービー]] (打率.132・本塁打21本・打点111)、ジム・ウィン(本塁打32本・打点108)、ロープス(盗塁59)、そして投手では[[アンディ・メッサースミス]] (20勝)、[[ドン・サットン]](19勝)、リリーフの [[マイク・マーシャル (投手)|マイク・マーシャル]] (15勝・21セーブ・防御率2.42)らが活躍した。[[リーグチャンピオンシップシリーズ]]は、ドジャースが第1戦は[[ドン・サットン]]が完封、第2戦は同点にされた直後の8回に連続安打で快勝、第3戦は落としたが、第4戦で[[ドン・サットン]]が好投しガービーが本塁打2本・打点4の活躍でドジャースが1966年以来7年ぶりのリーグチャンピオンとなった。
*個人タイトルは、ブレーブスのラルフ・ガー (打率 .353)が初めての首位打者となり彼にとって唯一のタイトルとなった。フィリーズの[[マイク・シュミット]] (本塁打36本)が初の本塁打王で以降1986年まで本塁打王に8度輝きメジャーリーグを代表するホームランバッターとなった。レッズの[[ジョニー・ベンチ]] (打率.280・本塁打33本・打点129)が3度目の打点王となり、以降タイトルには縁が無くなったが1970年代を代表するメジャーリーガーとして人気が高く、守備も捕手として評価は高い。そしてこの年にカージナルスの [[ルー・ブロック]] (盗塁118)が4年連続8度目の盗塁王となった。この118盗塁は1962年のモーリー・ウイルスが記録した104盗塁を超えて、メジャーリーグ新記録となった。投手では [[フィル・ニークロ]](20勝) と[[アンディ・メッサースミス]](20勝) が初の最多勝、ブレーブスのバズ・キャプラ(防御率 2.28)が最優秀防御率、フィリーズの[[スティーブ・カールトン]] (奪三振240)が2年ぶり2度目の最多奪三振であった。そしてリーグMVPはドジャースの[[スティーブ・ガービー]]が選ばれ、サイ・ヤング賞には同じドジャースの [[マイク・マーシャル (投手)|マイク・マーシャル]] がその成績とともに年間106試合登板したことで[[リリーフ]]投手として初めて選ばれた。この投手として年間106試合登板のメジャーリーグ記録は現在も破られていない。
 
ワールドシリーズ
*第1戦は、アスレチックスがケン・ホルツマン、[[ローリー・フィンガース]]、[[キャットフィッシュ・ハンター]]の豪華リレーで[[レジー・ジャクソン]]の本塁打もあり3-2でドジャースを下し、第2戦はドジャースが[[ドン・サットン]]、[[マイク・マーシャル (投手)|マイク・マーシャル]] で3-2でアスレチックスを下し、第3戦は[[キャットフィッシュ・ハンター]]、[[ローリー・フィンガース]]で3-2でアスレチックスが、第4戦はケン・ホルツマンと[[アンディ・メッサースミス]] との投げ合いは6回にメッサースミスが崩れアスレチックスが5-2で連勝し王手をかけた。第6戦は[[ドン・サットン]]が投げたがアスレチックスに2点先行され6回に追いついたが、リリーフに出た[[マイク・マーシャル (投手)|マイク・マーシャル]] に[[ジョー・ルディ]]が決勝本塁打を打ち3-2でアスレチックスが勝ち、これでシリーズ制覇となり三連覇となった。5試合のうち4試合が3-2の接戦で、シリーズMVPは[[ローリー・フィンガース]]が選ばれた。
=== 記録 ===
* 4月8日、[[ハンク・アーロン]]が[[ベーブ・ルース]]の通算本塁打記録714本を破る歴代最高の715本を記録した。
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* [[クール・パパ・ベル]]
 
==出典==
* 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪1974年≫ 129P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
* 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』 1905-2000(1974年) 113P参照 上田龍 著 2001年10月発行 ベースボールマガジン社
== 関連項目 ==
* [[1974年の野球]]