「棚尾町」の版間の差分

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== 沿革 ==
* [[1625年]]([[寛永]]2年)頃 - 碧海郡大浜村より分立し、'''棚尾村'''となる。
[[江戸時代]]末期、棚尾村は[[沼津藩]]領、寺社領などであった。村は本郷・中(東浦・中山)・北(西山・東山)の三つの組に分れ、中組のうち東浦は[[1876年]](明治9年)[[志貴崎村|平七村]]に組込まれ、飛地であった西山・東山の北組は、[[1883年]](明治16年)分離して北棚尾村となる。中山から幡豆郡中畑村(現西尾市)への渡しは、百々渡(どうどのわたし)と呼ばれた。棚尾橋は[[1890年]](明治23年)に完成した。
* [[1883年]]([[明治]]16年)[[5月8日]] - 棚尾村の一部<ref>棚尾村の飛び地であった、東山・西山。後に新川町の一部。現・碧南市東山町・西山町。</ref>が分立し、北棚尾村となる。
* [[1924年]]([[大正]]13年)[[1月1日]] - 町制施行し、棚尾町となる。