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地名、外部リンク
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== 沿革 ==
棚尾の地名は、「平坦で棚のような台地の、尾のような先端」に由来するとされる<ref>碧南市史料第2輯「碧南の地名研究」、棚尾の歴史を語る会 第46回資料</ref>。棚尾という地名の初出は、「蔭涼軒日録」[[1487年]](長享元年)11月8日の条にある「就当院末寺大浜多那和之興聖寺看坊職事」であり、当時は大浜村の一部であったとみられる<ref>棚尾の歴史を語る会 第7回資料</ref>。
* [[1625年]]([[寛永]]2年)頃 - 碧海郡大浜村より分立し、'''棚尾村'''となる。
[[江戸時代]]末期、棚尾村は[[沼津藩]]領、寺社領などであった。村は本郷・中(東浦・中山)・北(西山・東山)の三つの組に分れ、中組のうち東浦は[[1876年]](明治9年)[[志貴崎村|平七村]]に組込まれ、飛地であった西山・東山の北組は、[[1883年]](明治16年)分離して北棚尾村となる。中山から幡豆郡中畑村(現西尾市)への渡しは、百々渡(どうどのわたし)と呼ばれた。初代の棚尾橋は[[1890年]](明治23年)に完成した。<ref>角川地名大辞典・愛知県</ref>
* [[1883年]]([[明治]]16年)[[5月8日]] - 棚尾村の一部<ref>棚尾村の飛び地であった、東山・西山。後に新川町の一部。現・碧南市東山町・西山町。</ref>が分立し、北棚尾村となる。
* [[1924年]]([[大正]]13年)[[1月1日]] - 町制施行し、棚尾町となる。
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== 外部リンク ==
* [http://www.city.hekinan.aichi.jp/kyodoka/04keikakutyousei/katarukai/00katarukai.html 棚尾の歴史を語る会]
* [http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/23B0160012.html 歴史的行政区域データセットβ版]