「名誉革命」の版間の差分
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かねてより[[ライハウス陰謀事件]]や[[モンマスの反乱]]鎮圧後の「[[血の巡回裁判]]」によって[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]と弟の[[ヨーク公]]ジェームズは急速に人気を失いつつあった。さらに[[1685年]]、チャールズ2世の後を嗣いで即位したジェームズ2世は、かつて清教徒革命のため[[フランス王国|フランス]]に亡命していた頃にカトリックに改宗しており、カトリック教徒を重用してこれに反対していた[[プロテスタント]]の大臣を次々に罷免していた。このため、ほとんどの議員がプロテスタントであり、カトリックの支配に対して敵意を持つイングランド議会と国王との間に対立が深まった。
ジェームズ2世がそれまでなかった常備軍を設置するに及んで対立は決定的になったが、この頃は王には男子
した。
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