「フー・ツォン」の版間の差分

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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
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{{Portal クラシック音楽}}
'''フー・ツォン'''(''' ''' / '''FouFOU Ts'ong'''あるいはFU Cong, [[1934年]][[3月10日]] [[上海市|上海]] - )は[[中国]]出身の[[ピアニスト]]。
[[File:Fou Ts'ong 1965b.jpg|thumb|フー・ツォン, 1965]]
'''フー・ツォン'''('''傅聰''' / '''Fou Ts'ong''', [[1934年]][[3月10日]] [[上海市|上海]] - )は[[中国]]出身の[[ピアニスト]]。
 
==経歴==
父親は[[翻訳家]]・[[文学者]]の[[傅雷]](フー・レイ)。[[コスモポリタン]]な[[インテリ]]の家庭に生まれ、[[上海交響楽団]]創設者の[[マリオ・パーチ]]に[[ピアノ]]の手ほどきを受ける。[[1953年]]に[[ワルシャワ音楽院]]に[[留学]]し、[[ズブグニェフ・ジェヴィエツキ]]に師事。特に[[マズルカ]]のリズムについて薫陶を受ける。[[1955年]]の第5回[[ショパン国際ピアノコンクール]]で第3位。併せてポーランド・ラジオ賞(マズルカ賞)を受賞。
 
両親が[[文化大革命]]の犠牲となったため、[[中華人民共和国]]への帰国を諦め<ref>[http://sh.eastday.com/m/20131028/u1a7738404.html 傅雷夫婦“葉落帰根”骨灰落葬浦東(東方網・上海)]</ref>、[[1960年]]より活動拠点を[[ロンドン]]に移し、世界中で演奏活動やマスタークラスの開催に取り組む。[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]弾きや[[フレデリック・ショパン|ショパン]]弾きとして知られ、[[ヘルマン・ヘッセ]]は、フー・ツォンこそショパンを正しく演奏できる唯一のピアニストであると折り紙をつけた。ほかに、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の[[ピアノ協奏曲]]や[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の[[ピアノ曲]]でも独自の解釈を見せている。
 
[[マルタ・アルゲリッチ]]や[[レオン・フライシャー]]、[[ラドゥ・ルプー]]と親しく、アルゲリッチは、しばしば[[別府アルゲリッチ音楽祭]]に彼を招いて共演している。ルプーはフー・ツォンの作品についての洞察力や、ピアノ界に対する影響力を認めているという。
 
== 参考書籍 ==
*傅雷 ([[榎本泰子]])『君よ弦外の音を聴け―ピアニストの息子に宛てた父の手紙』 (樹花舎、2004年、ISBN 4434042130)
*森岡葉 著『望郷のマズルカ―激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン』(ショパン、2007年、ISBN 9784883642366)
 
== 脚注 ==
<references />
 
{{DEFAULTSORT:ふう つおん}}