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日本で作られた本、いわゆる和書の歴史は、[[洋書]]の歴史とは異なり、いきなり紙の本から始まる<!--木簡竹簡を綴ったものは本ではない?-->。日本にいつ紙が入り、製紙術が伝えられたのか定かではない。[[日本書紀]]には、[[610年]]に[[曇徴]]が来朝し、絵具・紙・墨を巧みに作ったと記されている。おそらくは日本における碾磑(みずうす)の創製者であるとは書かれているものの絵具・紙墨については言及がない。したがって、彼が来朝する以前には製紙術は伝わっていただろうと考えられる。現在残っている最古の本は[[7世紀]]初めの[[聖徳太子]]の自筆といわれる[[三経義疏#法華義疏|法華義疏]]であるとされている。また、[[奈良時代]]の本の遺品は数千点にのぼり、1000年以上昔の紙の本がこれほど多数残されているのは世界に例が無い。また、日本では製紙法の改良により、[[楮]]、[[三椏]]などですいた優れた紙の本が生まれている事も特筆すべき点である。
 
印刷術に関しては、[[8世紀]]に現存するものでは世界最古の印刷物である[[百万塔陀羅尼]]が発行されたが、[[平安時代]]には経文や文学作品を上質の[[和紙]]の上に美しい筆遣いで書き写す手法がとられ、印刷に関しては長く後を絶つようになる。[[平安時代]]末から[[鎌倉時代]]には中国の影響で[[木版印刷]]が広く行われるようになり、主に[[仏教]]関連の書籍が寺院から刊行された。また[[慶長]]年間には[[勅命]]により日本最初の木製活字本が現れ、「古文孝経」「日本書紀神代巻」などのいわゆる慶長勅版本が刊行された。一方[[1590年]]には[[アレッサンドロ・ヴァリニャーノ]]によってグーテンベルクの活版印刷術がもたらされ、キリシタン版数種が誕生したが、キリスト教禁止などの影響により技術が途絶えた。また活字という印刷形態自体が繋げ書きが一般的だった当時の書物には馴染まなかったようで徐々に廃れた。
 
現在の日本の活字印刷の基礎を築いたのは[[本木昌造]]で、幕末の[[1852年]]に鉛活字を用いて「蘭和通弁」を刷り、[[明治]]になって今日の号数活字の制定など活字印刷の緒をつけた。