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{{出典の明記|date=2013年1月23日 (水) 15:41 (UTC)|ソートキー=人1606年没}}
'''堀 鶴千代'''(ほり つるちよ、[[慶長]]3年([[1598年]])? - 慶長11年([[1606年]]))は[[江戸時代]]初期の[[大名]]。[[越後国]][[蔵王堂藩]]主。[[堀秀治]]の次男。[[堀忠俊]]の弟。
 
叔父の[[堀親良]]の養子となる。[[1602年]]、養父・親良が秀治や[[堀直政]]と不仲になり隠居したため、家督を譲られる。しかし1606年に9歳ほどで夭折した。嗣子が無かったため、断絶となった。鶴千代の有していた蔵王堂藩3万石は、鶴千代の後見人である[[堀直寄]]の[[坂戸藩]]に編入された。
 
{{蔵王堂藩主|2代|1602年 - 1606年}}
 
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[[categoryCategory:飯田|つるちよ]]
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[[Category:堀久太郎家|つるちよ]]
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