「信濃飯田藩」の版間の差分
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== 概要 ==
飯田は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]、[[武田氏]]の家臣・[[秋山虎繁]]、[[徳川氏]]の家臣・[[菅沼定利]]、[[毛利秀頼]]([[斯波氏]]の一族)が治めていた。[[文禄]]2年([[1593年]])に秀頼が死去すると、その娘婿であった[[京極高知]]が
[[元和 (日本)|元和]]3年([[1617年]])、[[伊予国|伊予]][[大洲藩]]より[[脇坂安元]]([[脇坂安治]]の子)が5万
第10代藩主・[[堀親しげ|堀親寚]]は[[水野忠邦]]の[[天保の改革]]で幕閣の一人となり、[[奏者番]]・[[寺社奉行]]・[[若年寄]]・[[老中]]などを歴任して
また幕末期には、[[常陸国|常陸]][[水戸藩]]の[[武田耕雲斎]]の[[天狗党]]に対して何の対処もとらず、清内路関所の通行阻止も懈怠したため、幕府から
[[明治]]4年7月、[[廃藩置県]]により廃藩となって[[飯田県]]、同年11月には[[筑摩県]]、明治9年([[1876年]])8月には[[長野県]]に編入された。
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#[[小笠原秀政]](ひでまさ) 従五位下 兵部大輔 ([[小笠原貞慶]]の長男)
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(1613年 - 1617年)
=== 脇坂家 ===
5万
#[[脇坂安元]](やすもと) 従五位下 淡路守 ([[脇坂安治]]の次男)
#[[脇坂安政]](やすまさ) 従五位下 中務少輔 ([[武蔵国|武蔵]][[川越藩]]主[[堀田正盛]]の次男)
=== 堀家 ===
2万石→2万
#[[堀親昌]](ちかまさ) 従五位下 美作守 ([[堀親良]]の長男)
#[[堀親貞]](ちかさだ) 従五位下 周防守 (堀親昌の長男)
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[[Category:信濃国|藩いいた]]
[[Category:脇坂氏|藩しなのいいた]]
[[Category:府中小笠原氏|藩しなのいいた]]
[[Category:飯田堀
[[Category:長野県の歴史]]
[[Category:信濃飯田藩主|!]]
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