「ドイツ国民と国家を保護するための大統領令」の版間の差分

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'''1933年2月28日付ドイツ国民と国家を保護するための大統領令''' (ドイツこくみんとこっかをほごするためのだいとうりょうれい、{{lang-de|Verordnung des Reichspräsidenten zum Schutz von Volk und Staat vom 28. Februar 1933 (RGBI[[:de:Reichsgesetzblatt|RGBl.]] I S. 83)}}) は1933年2月28日に布告された[[ドイツ国大統領]]令で、[[ヴァイマル憲法]]で定められた[[公民権]]の停止や中央政府の州政府への介入が規定されていた。この大統領令と1933年2月4日付ドイツ民族保護のための大統領令 (Verordnung des Reichspräsidenten zum Schutze des Deutschen Volkes vom 4. Februar 1933) および1933年3月23日に成立した[[全権委任法]]は、[[ナチ党の権力掌握]]における重要なステップであり、それまでの[[法治国家]]ドイツが[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]による独裁国家となる転機であった。
 
この大統領令は1933年2月27日深夜に起きた[[ドイツ国会議事堂放火事件]]を受けて布告されたため、ドイツでは国会議事堂放火事件令 (Reichstagsbrandverordnung) とも呼ばれている。
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== 概要 ==
[[ファイル:-VO_zum_Schutz_von_Volk_und_Staat_1933_2.JPG|サムネイル| ドイツ国民と国家を保護するための大統領令を布告する官報 ]]
国会議事堂放火事件に対し、[[ドイツ国首相|首相]]であったアドルフ・ヒトラーの建議によりヴァイマル憲法第48条 ([[緊急避難]]条項) に基づいて[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]][[ドイツ国大統領|大統領]]が本令を布告した。前文および第1条は以下の通りで、国民の権利を広範に制限するものであった。
 
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== 法的評価 ==
早くも1941年には、 政治学者{{illm|エルンスト・フレンケル (政治学者)|de|Ernst Fraenkel (Politikwissenschaftler)|label=エルンスト・フレンケル}}が著書『{{illm|二重国家 (|de|Der Dopperstaat)Doppelstaat}}』の中でこの大統領令を「[[第三帝国]]の権利章典」であると表現した。[[授権法]]である[[全権委任法]]と共に、この大統領令は、緊急事態の名の下に国家が為すすべての行為に対して無制限に合法性を与える法的根拠となったのである。
 
ヴァイマル憲法第48条によると、緊急事態において大統領令を布告する際は以下の原則が守られるべきとされていた。