「手帳強奪事件」の版間の差分

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'''手帳強奪事件'''(てちょうごうだつじけん)は、[[公明党]]の元[[国会議員]]である[[伏木和雄]]、[[大川清幸]]、[[黒柳明]]の3人が同党の元委員長[[矢野絢也]]の手記、備忘録が記された手帳を強奪したとされた事件である。また矢野の著作より「黒い手帖裁判」や「黒い手帳事件」とも呼ばれている。
 
== 経緯 ==
[[1993年]]10月、政界を引退した矢野は『[[文藝春秋]]』に手帳に記載していた手記備忘録の「極秘メモ全公開」を発表し、第55回[[文藝春秋読者賞]]を受賞した。その5年後矢野の前任であった公明党元委員長の[[竹入義勝]]が『朝日新聞』に連載した回顧録『秘話・55年体制のはざまで』で、「公明党・[[創価学会]]の関係は環状線で互いに結ばれているのではなくて、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う」「委員長を引き受けるときから人事権は(創価)学会にあると、明確にされていた」「公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた」などと述べ公明党と創価学会との関係、いわゆる政教分離問題に触れると矢野も竹入の主張に同調したばかりか、創価学会では認められていない[[池田大作]]本仏論について「(学会内部で)当時会長だった池田大作は日蓮聖人の再誕で、本仏に等しい指導者という思想がある」と持論を展開するなど創価学会を批判する立場に回った{{Sfn|矢野絢也|p=159}}{{see also|池田大作本仏論#矢野絢也の見解}}
これ以上矢野に好き放題にやられると公明党や創価学会に重大な支障が出ると考えた創価学会本部は、矢野が政治評論家として執筆した文章の内容などを機関紙『聖教新聞』(日刊)紙上や『創価新報』(月2回刊行)を通じて批判、矢野バッシングを行った。矢野は創価学会からさまざまな圧迫や迫害を受けた経験から創価学会における池田大作の独裁、私物化などに帰しもともとの健全な体質を変質させていると再批判したが、その後平穏な状態が続く{{Sfn|矢野絢也|p=159}}。