「大浜町 (愛知県)」の版間の差分

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[[衣浦港|衣ヶ浦]]と呼ばれた海に突き出す半島状の大村。海に沿って大きな砂浜(大浜)が広がり、大浜湊(大浜港)は古くから海上交通の要衝として栄えた。
 
『和名抄』では幡豆郡大浜郷に属していたが、近世矢作川の改修によって碧海郡に編入された。[[1409年]](応永16年)の『熊野道者日記』(大乗院記録)に「一所大浜郷」と記され、[[1499年]](明応8年)の『富士歴覧記』に「緒川より舟にて三河へ行侍しに、(中略)大浜といふ所へ舟よせて」とあり、[[1409年]](応永16年)の『熊野道者日記』(大乗院記録)に「一所大浜郷」と記す。連歌師[[宗牧]]の『東国紀行』([[1544年]]、天文14年)には「舟のこと昨日よりいひつけられたれば、てまもいらず、暮れはてて、参河大浜まで押しつけたり」とある。
* [[1559年]](永禄2年) - 徳川家康が大浜郷七ヵ寺に朱印地を与える。
* [[1576年]]([[天正]]4年) - [[徳川家康]]が羽城<ref>後に大浜陣屋が築かれた場所と推測される。</ref>を築城する。