「栃木県道266号中塩原板室那須線」の版間の差分

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塩原側の起点位置は同時期に道幅拡幅と路線延長が構想されていた[[日塩もみじライン]]([[日塩有料道路]])入口とは[[箒川]]をはさんで対岸の位置にあり、開通を果たした際には同道路と接続させる目的もあった。
 
建設現場の地形は急峻で、民間の業者では機材の搬入が困難であったことから{{sfn|平沼|2012|p=22}}、1966年(昭和41年)10月からは栃木県から工事を委託された[[陸上自衛隊]]が[[土木工事等の受託 (自衛隊)|土木工事等受託]]を委託された[[陸上自衛隊]]が訓練の一環として工事に当たり{{sfn|平沼|2012|p=22}}、延べ74,018人の自衛隊員が参加した{{sfn|平沼|2012|p=22}}。路線の途中に資材搬入のためのヘリポートが設けられ、自衛隊の空輸能力を生かした工事が進められたが{{sfn|平沼|2012|p=22}}、ブルドーザーの空輸中の事故によって[[殉職]]者が出るなど{{sfn|平沼|2012|p=22}}、工事は困難なものであった。
[[1971年]](昭和46年)にはついに工事用パイロット道路の貫通にいたるが{{sfn|平沼|2008|p=29}}、その後[[オイルショック]]による景気減速と財政悪化を原因に建設工事が中断する{{sfn|平沼|2008|p=29}}。本道は1,100メートルに達する高低差を登り降りするために[[つづら折り]]を繰り返した結果、非常に長い道のりとなってしまい[[国道400号]]経由のルートと比較して[[ショートカット]]として機能しないため(山越え区間のパイロット道路が約50キロメートルの道のりに対し、(現) 国道400号線 - 県道30号線 - 県道369号線経由ならば20キロメートル以上短くアップダウンも少ない)、[[有料道路]]として整備しても通行量が見込めなかった。1982年(昭和57年)には塩那道路の塩原側から少し入った土平(どだいら)園地、および 板室側から少し入った深山園地までの区間を、良好な眺望を得られる地点までの「優先区間」として少しずつ整備を進める方針が決定したが、残りの区間は優先区間の整備を待つものとされた{{sfn|平沼|2008|p=29}}。1980年台後半には、栃木県北部地域は通称リゾート法と呼ばれる[[総合保養地域整備法]]の「日光・那須リゾートライン構想」エリアとなり再び注目されるも、[[バブル崩壊]]により山岳区間の整備計画が事実上凍結。